映画「サマーウォーズ」感想 AIは地球を救う

映画「サマーウォーズ」感想 AIは地球を救う
 鑑賞は公開二日目だから数週間も経ってから感想を書こうと思い立つのも、なんだかおかしな方向に議論を進めているお方がいるせいなんだけど、それはもうどうでもいい。
 きっかけは「サマーウォーズ見たら死にたくなった」http://anond.hatelabo.jp/20090802001622だった。これから、コミュニケーションがどうのこうのといった議論に突入するのは、映画を観た方々ならよくわかるだろうわかりやすさなわけだが、個人的には、あー、これは「愛」を語った映画なんだなあという思いが一貫としてある。そして、アバターを吸収して巨大化する人工知能(AI、つまり愛だからラブマシーン、なんてのも今更な解説か。以下AIと略す。これをエーアイと読むかアイと読むかは自由である)という展開が、私にすぐ坂口尚を思い出させてくれた。「VERSION」である。
 「VERSION」という作品は、坂口ファンのはしくれである私にとっても掴みどころのないようなあるような、哲学入ってるSFで、要は、生物工学によって生み出された人工知能が世界中の学識にアクセスして地上のありとあらゆる知識を吸収した果てに、ついには人間のDNAにまで直接アクセスして人間そのものを飲み込んでいくっていうAIと、それに立ち向かおうとする主人公たちのささやかな抵抗の物語である。終盤に至ると、AIは人間の敵だと訴える集団との戦いに巻き込まれて、混沌としていくわけだが、本当にささやかなものだったのかは異論があるだろう。AIは知識を集めて肥大し変態し、人間を理解しようとするも、最後まで説明の出来ない知識に突き当たってしまう。それに対して主人公の一人の女性は、「私は「私」ではない」と言い、私たちを取り巻いている世界の区画・言葉が、私を「私」という区画に閉じ込めてしまっていることを悟る。一方、全ての知識・つまり言葉を吸収したAIにとって、「私」がほとんど「私たち」であるという発想に至るのは容易だったろう。世界中のDNAを飲み込んでしまえば、それこそAIは「私」であり、「私たち」である。吸収された人々は、AIの中にデータとして生きているからだ(実際、作品の中ではAIに最初に吸収された父親と主人公である娘の対話が繰り広げられる)。
 「サマーウォーズ」のAIはどうだったろう。彼(彼女?)はネット世界の人間の分身であるアバターを吸収して様々な能力を身に着けていく。数億人規模の知識は確かに無敵だろう。だから誰も制御できない。物語は、この無敵艦隊との対決に、花札という一対一の勝負を選んだ。数億の知識が、花札に素人の一人のAIに矮小化されたと言えなくもないが、ともかく物語は花札というマイナーなカードゲームによってクライマックスに至る。
 花札って私はわからない。ルールもなにもちんぷんかんぷんだから、劇中で描かれた花札の様子も、正直何をしているのかはわからなかった。だが、だからと言って、彼らが何を目指しているのかもわからなかったわけではない。とにかく何らかの規則性によって札をそろえた者が勝ち名乗りを上げることができるのだろう。その勝負手としての掛け声が「こいこい(恋恋?)」だった。印象に残るのは間違いない。
 では、最後の対決をもう一度考えてみると、「VERSION」との親和性の高さに驚いた。単なるこじ付けになってしまうかもしれないが、私は、とても感動しながら恥ずかしさも感じた。何故ならそれは「愛」の物語だからだ。
 たくさんの「私(アバター)」が集まったAIは、「私」たちではなく、「私たち」という存在である。個人個人の区別はなく、みんな一緒の世界だ。吸収された「私」の一部は私は私だと騒ぐかもしれないけれども。また、ネットという世界だけに、乗っ取られたという感覚に合点がいく。現実世界のAIを描いた「VERSION」よりも、「私たち」感覚は強いと思う。
 対峙する夏希たちはどうだろうか。彼等は大家族という集団でありながら、一つとなってAIに挑む。その様子は家族愛を連想させるだろうけど、ここでも「私」たちではなく、「私たち」という一体感がある。花札を仕込まれている陣内家の面々は、当初こそあの手この手を脇から喚くが、夏希と一緒になって彼女の一手一手を見守ることになり、誰も彼女の手札に文句を言わなくなる。こうして、大きな「私たち」と小さな「私たち」の戦いが盛り上がっていく。個々の一対一ではなかったのだ、矮小化ではなかった。
 小さな「私たち」の奮闘を、花札を知らない私はわけもわからず見守るしかなかった。だが何をしようとしているのかはわかる。わかるはずだ。彼(彼女)は、地球を救うために戦っている。それだけでいい。戦いにおける細かなルールなんぞ夾雑物でしかない。だから家族がやがて夏希に同調して見守るように私も見守ることで劇中のキャラクターとの一体感を覚えていった。観客の「私」までもが「私たち」になった。もちろん感情移入しただけだろう。けど、この時に感じた「私たち」感は、すげー気持ちいいものだった。熱くないけど熱い戦い。これに加わるにはどうすればいいのか。ドイツの少年が唐突に現れて話したではないか。「僕のアバターをあげる」と。
 「サマーウォーズ」に対して様々な意見が飛び交っているけれども、それは正しく愛を描いているからに他ならない。
 「でも 不思議な言葉が一つ…… たった一つあるの…… その言葉はとてもよく使われるわ 誰もが顔を輝かせるわ 誰もが信じるわ その言葉はこれからもよく使われるでしょう ……それなのに その言葉は汚されることもあるわ 嘲笑(わら)われることもあるわ あきらめ捨てられることもあるわ…… 恥らう人もいる 怒り出す人もいれば 憎しみを抱く人もいるわ…… なぜなら それは 『言葉』だからよ (中略) その言葉には 笑う意味も 怒る意味も 憎む意味もないわ…… その言葉と出会った人間の心の方がさまざまに映しているだけなのよ」(坂口尚「VERSION」より)。