映画「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」感想

映画「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」感想
 あー面白かった。女優になりたい勘違い女の姉・スミカ(佐藤江梨子)。姉をモデルにした漫画を描いてしまう衝動を止められない妹・キヨミ(佐津川愛美)。姉妹の相克に手を打てずどうしようも出来ない弱みを抱えている兄・シンジ(永瀬正敏)。そして、孤児として育ち家族と過ごすことを知らない従順な兄嫁・マチコ(永作博美)。全く相容れない感情4つがぶつかり合って化学反応が起きた結果、物語は意想外な展開に流れ込んでいった。

監督・脚本:吉田大八  原作:本谷有希子
撮影:阿藤正一  照明:藤井隆二  録音:矢野正人  美術:原田恭明
音楽:鈴木惣一郎  編集:岡田久美  漫画:呪みちる  配給:ファントム・フィルム
主題歌:チャットモンチー「世界が終わる夜に」
出演:佐藤江梨子 佐津川愛美 永作博美 永瀬正敏山本浩司 土佐信道明和電気) 上田耕一 谷川昭一朗 吉本菜穂子 湯澤幸一郎 ノゾエ征爾 米村亮太朗

 山の中の田舎。トラック事故で死んだ両親の葬儀。道の真ん中にいた猫を助けようと道路に飛び出した妻、近づくトラックに気付いて妻を助けようと同じく飛び出した夫。二人とも即死どころかバラバラなってしまうほどの悲惨な現場を、妹・キヨミは目撃していた。
 葬儀の最中、ショックから縁側で蹲ったままのキヨミをおたおたと励まそうとする兄嫁のマチコは、庭に現れた猫を「かわいいね」と言ってしまう。表情が変わるキヨミ。元気付けようと姉が葬儀に駆けつけることを伝える、姉妹仲良く、というマチコの言葉はキヨミの喘息の発作を惹き起こしてしまった。マチコの声に駆けつける兄・シンジは、マチコを突き飛ばした。倒され転がった先でマチコは、「3650円」と素っ気無くいう玄関のスミカと出会う。3650円とは無論タクシー代である。
 冒頭のシーンで4人の設定と性格が明かされた。特に半年前に嫁いだばかりというマチコの役回りが冒頭から重視されている。永作は割とコメディリリーフっぽい立場ではあるんだけど(「空中庭園」のようなわかりやすい滑稽さではなく)、孤児という設定、呪術の人形みたいなものを作る趣味を持ち、おそらく自作の気味悪い歌を口ずさむ癖など、スミカの自覚なき勘違いと同様の自覚なき不気味さを湛えている。両者の間で懊悩するシンジのストレスは想像に難くないわけで、劇中においてマチコの家族になろうとするわかりやすい言動は、3人の偏りあった人間性を浮かび上がらせている。キヨミのホラー漫画好き・シンジが家族を築こうとするあがきも含め、3人の性格を一身に引き受けたマチコの存在は、終盤に至って、滑稽さを超えて切なささえ醸している。演じた永作博美がすげぇよ。
 兄と姉妹の関係を歪なものにしているのが、母は父の後妻で、兄はその連れ子という設定のせいである。血が繋がっていない、カッコイイ兄とスタイル抜群の姉……容易に想像出来る事態であろう。さらに姉妹の関係である。葬儀のために東京から戻ったスミカは、東京土産と称して猫のぬいぐるみをキヨミに渡す。姉妹が去った居間で、猫のことを知らないわけがないとマチコに語るシンジの表情。姉妹の間には、誰も踏み込むことの出来ない断ち切れない絆(というのも変だけど、やっぱりそれは絆とか言えないと私は思う)があった。
 4年前。18歳のスミカは上京して女優になりたいと訴えるも、父は強固に反対する。「お前に女優の才能なんてない」。父の言葉の撤回を求めて刃物を振り回すほど暴れるスミカを押さえようとしたところを誤って顔を傷付けられてしまったシンジ。滴る血、傷口を押さえながら大丈夫だと家族を落ち着かせる。どうすることも出来ずに見守る当時14歳のキヨミ。だがこの時、キヨミのクリエイター魂・漫画家としての才能が噴出する。スミカは同級生の萩原(山本浩司)に身体を売るまでして上京資金を溜めていた。そんな姉をモデルにした漫画をキヨミは夢中になって書き上げる。残虐シーンてんこ盛りな姉主人公のホラー漫画は見事に入選して雑誌に掲載されるも、劇画化された姉の言動は村の話題となってしまう。何度謝っても許してもらえないキヨミ。いくら懺悔しても、スミカの恨みが潰えることはなかった。上京し女優として端役ばかりで満足な仕事も出来ないのも、妹に漫画にされ村中から笑いものにされたせいだ……根拠のない女優としての自信が幾度崩されようと、全てを妹の責任にすることで生きながらえていた。両親の葬儀で姉が戻り、次の上京までの期間、妹は姉のいたぶりに怯える日々を再び過ごすことになるのだった。
 両親の死と残された借金のために、スミカの東京暮らしの前途はほとんど閉ざされる。仕送りがなくでどうやって女優としての仕事を続けるのかとキレるスミカに対し、さして強く反論するでもないシンジへの不信感は観客も気付くだろう。誰にも感情移入できない物語にあって、マチコは当初、その代弁者として歪な兄姉妹の関係に食い込んでいく(マチコへの感情移入も、彼女自信の性格設定によって後に拒まれ、観客は宙に浮く状態になるわけだが、実はこの状態そのものが、物語の鍵となっている。これが結構爽快なのだ)。「家族」という言葉に過敏に反応し、一喜一憂するマチコは、傍目には夫に尽くす女である。夫の顔色をうかがっているからこそ、彼女は夫の、スミカへの遠慮を指摘できた。
 シンジとスミカの関係は、前述でほのめかしたとおり性的なものである。しかし、妹は知らない。妹が最初にそれを察するのが、深夜台所で水を飲んだ直後にスミカの足音を聞いて机の下に隠れたシーンである。同じく水を飲みに来ただけだったスミカの元に、シンジが現れた。キヨミの主観・足元だけを映して二人の会話が聞こえてくる。シンジの足にスミカの足が近づく、それどころが足を絡めんばかりに密着する。これで、もうわかった。妹の創作意欲は、新たな事実によって掻き立てられ、抑え難いものになっていく。
 新進映画監督と文通をして女優への道を諦めずにもがいていたスミカは、たまに来る返信に喜んで、手紙に熱を入れ始めた。手紙の内容はスミカのモノローグによって読まれる。家族の無理解や周囲の無能をあげつらい、自分の才能を信じて疑わない。とてもじゃないが共感できない主人公である。だが、監督から次回作の主演女優の内定を知らせる手紙が届くと、スミカの妹への感情がすうっと消えていく。その手紙を妹にまで読ませて己が認められたことを誇るスミカである。「許す」という言質を得たキヨミは、その言葉が、また漫画描いていいよという意味であったかのように、再び姉を主人公にしたホラー漫画の執筆をはじめるのだ。
 漫画熱が蘇ったキヨミは、姉の行動を観察した。直接描写されるわけではないが、スミカが萩原と再び金のために関係しようとした現場にいたり、シンジとスミカの深夜の情交の現場を盗み聞きしたり、物語はキヨミを中心にしていくのだが、疲れきったシンジは終盤、物語から退場してしまうのである。
 自殺とも事故ともつかない死に方をしたシンジ。ここから、誰にも感情移入せず見守っていたはずのこの物語が、実はキヨミの仕組んだ物語であることが暴露される。観客は知らずキヨミの主観と同一化してこの作品を見ていたのだ。
 ひっかかりはいくつかあったし、勘がよければすぐに気付いただろう。たとえば、キヨミのバイト先。バイトに出かけるキヨミであったが、どんなバイトをしているのかはさっぱり描写されていない。姉に隠れて漫画でも描き続けているのか、とか私はのんきに考えていた。手紙をモノローグで読みあげるシーンもいくつかあるが、スミカの勘違いバカを強調する以上の意味を見出せなかった。ところが、この手紙を読んでいたのは、モノローグを聞く観客であり、キヨミだったのである。上京するための荷物を抱えたキヨミは、グランプリを獲った姉がモデルのホラー漫画が掲載された雑誌を抱えてすっ飛んできて赫怒するスミカに向かって言い放った。「最近手紙の返事がないよね」と。懐から取り出したスミカの書いた手紙の束、キヨミは郵便局でバイトしていたのである。返信さえキヨミが書いたものだった……「お姉ちゃんには女優の才能なんてない」と止めを刺す。あたふたするマチコ。かつて父に対して刃物を振り上げたスミカは、同じ状況に接してまたも近くのナイフを掴んでキヨミに突進した。あの時取り押さえた兄はいない……
 スミカとシンジの関係は一言で言いにくい。誰かに必要とされたいスミカは、兄から必要としている(たとえスミカを落ち着かせるためのでまかせであったとしても)と言われて兄のために女優を目指す一面もあった。シンジはシンジで、スミカの魅力的な身体・佐藤江梨子は実際魅力的な身体なわけで・に溺れている。やがてスミカもシンジを必要とし、それさえも兄の責任にしてしまう身勝手さとはいえ、二人の関係は切り離し難いものになっていた。そこに割り込んできたのがマチコである。シンジにしては、スミカとの関係をどうにかしたいがための結婚だったけど、家族を求めるマチコにとってシンジはかけがえのない存在になっていた。長らく関係のなかったシンジとマチコは、マチコの無理強いによって関係を結ぶ、夫婦の何気ない仕種は、スミカにも関係の変化を察するに十分である。そして、それをじっと陰から観察していたキヨミ。そもそもキヨミの漫画熱は、両親の事故を目撃した瞬間から沸きあがっていたのだから。
 自分を必要とする存在を失ったかに見えたスミカだったが、妹こそが私を必要としている・私をモデルに漫画を描いたということは、私を必要としていたのだ、という発見は、互いにそっぽを向いてバスに乗っているラストシーンを見ると、シンジが陥ったような精神状態にいずれキヨミも至ってしまうのではないかという予感を想起させた。悲劇でも切なさでもない。このバカ女によって周囲に巻き起こる「最高に面白い」出来事は、ニヤニヤしてしまうこと請け合いである。
 エンドクレジット後にワンカットある。マチコもまた、スミカが起こしキヨミが描く物語に参加するに違いない。