三振三昧岩村

 げんしけん雑感。本サイトで書こうとも思ったけど、思いつくまま最初にこっちで書いてみる。うまくいけば「おおきく振りかぶって」みたいに書き直す。
 「げししけん」4巻 オタク化する物語
 はじめからオタクの話じゃん、と突っ込みたいところをちょっと抑えて聞いて下さいよ。とりあえず面白いよ。春日部コスプレ編なんて笑ったし、全体のトーンも色あせずだらだらしてるし、新キャラ投入もインパクトあるし。でも、ちょっと心配でもある。3巻の感想で私はオタクを自覚していない読者自身もオタク化してしまうとおどけたが、実際そうなりそうな心地よさって物が充満していて、もう他人にこれ面白いよと薦める度胸が全くなくなってしまったのである。まあ、それはそれでいいよ。この作品世界にすっかり嵌っているってことだし、作者もしてやったりってな感じだろう。真に危惧すべきは、こうして嵌ってしまった読者側の期待に応えようとする作品側である。かつて少年ジャンプ作品がパワーのインフレを起こしてことごとく物語を破滅させたことにも通じるものがあるんだが、つまり、「げんしけん」は4巻に至ってついに舞台を部室内にとどめてしまったのである。外からの闖入者によってかき乱されたオタク青年達の生活リズム、1巻なら、オタクになろうとする笹原の意識が外(世間一般)と内(オタク世界)の狭間で苦悩した様子、内の中で全く異質な存在として君臨していた春日部の言動、2、3巻も同様に外と内の違いを際立たせることによって、内の特異性というものを強調し、また外では普通の行為も内の中ではおかしみを生むという現象さえこの作品は描いていた。このへん、木尾氏はひじょーにしたたかである。世界の境界を明確にすると同時に、登場人物のキャラ立ちも進行させていたからである。各キャラまでも内の中でそれぞれ小さな世界を構築していったってこと(「漂流部室」の回がわかりやすいだろう。外の世界を描いていながら、物語が動くのは各キャラが持つ小さな世界の中だ)。
 だから何? と言われると困るんだけどね。読んでて気持ちいいですから。でも、気が付いたらぬるま湯になっていたってことになりそうで怖いんだよね。杞憂だといいんだけど。
 話はまだ途中。長くて御免ね。で、内部に引きこもってしまった彼らの物語、今後夏コミ編とか笹原妹の再登場とかハラグーロの挙動が気になるとか、いろいろと飽きない要素は抱えていて、楽しみなネタはあるんだけど、ここまで舞台が矮小化してしまうと、窮屈になってしまうんだよ。部室を追い出された彼らは、話し合いの場を食堂に求めるんだけど、ここの展開も部室内とさして変わりないんだよね。物語を予想外の方向に動かすひとつの設定というか要素が、他者が容易に入り込める空間・舞台なんだけど、そういう舞台でありながら、たとえば北川は冷やかしに来るとか、ハラグーロが嫌われに来るとか、部外者がこの異様な雰囲気は何? というような外から内を覗き込む視線もない。学園祭という人の流動があるイベントにもかかわらず、1巻に登場したような闖入者がない。結果、同じキャラが日々だらだら過ごす漫画というまさにオタク漫画に相成ったわけで、作者にそこまでの思惑があったかどうかはともかく、世間とオタクの間だけでなくキャラをそれぞれ際立たせることが出来たからこそ、ただのおしゃべりも十分に面白くなっている。そういう点で、前作同様の味わいってものがある。で、前作どうだったっけ……いよいよ二人っきりの世界に落ち込んだ挙句の亀裂と崩壊と暴走、そしてまわりまわってどうにか修復の兆し……不安になるのわかるよね? そこで新たな闖入者、季節ネタ絡めた新入部員の登場となるわけだが、クッチーはおいといて(ここ、話それるけど指摘しておく、春日部って久我山のことクガピーって呼んでいるでしょ。笹原はササやんだっけ。人の呼び名に対するちょっとずれた感覚というか無頓着さを性格にちゃんと盛り込んであるよね、さっすが木尾氏)、問題は荻上ですよ。そもそも登場の仕方が不自然すぎるでしょ。これは部室というなかなか他者が入り込めない場を舞台にしているためなんだよね、融通が利かない空間というか。2chのスレみたいなもんだ。だから、わざわざ宣言しなきゃいけない、このうちに閉じた世界に入るに当たっての理由を声高らかに。「オタクが嫌いです」と言わなきゃならない。さもないと今さら新キャラが立たないのかもしれない。
 オタク化というよりも、2chのスレ化する物語、なのかな。まあ、面白いからいいんだけどさ。