落下する松坂

 最近映画の話ばっかだけど今日もまた映画の話。
 地元で映画祭が開かれたんで観てきた。メインは宮部みゆき原作のベストセラー小説を映画化した大林宣彦監督の新作「理由」である。全国公開に先駆けての公開、やっぱ映画祭にはこういうのが一本はないと盛り上がらないよな。春にテレビ版が放映されてたらしいんだが、そっちのほうは知らね。
 期待してなかった。とりあえず監督が舞台挨拶に来るというので、じゃあ観てみようということで、映画の出来は眼中になかった。しかも2時間40分という長尺を考えると、退屈しそうだなという諦観もあった。登場人物107人、ドキュメンタリー形式の原作を忠実になぞった映画、そんな主人公のいない映画を監督が撮れるんかいなと疑っていた。いやしかし、面白い映画だった。
 というか、すごかった。傑作と言える自信はないけど、まあ原作があるし、かなり忠実なんでネタバレもなにもないとは思うんだけど一応控えておいたほうがいいのかな、まあいいや。タイトルがいいんだ、原作者の名前を冠して「理由」と。また冒頭、舞台となる荒川区の歴史がざっと述べられ、長いなーと思うと、そこからもう怒涛の取材形式の場面の連続だった。回想シーンというよりも、当時の再現シーンという趣向(そうではない描写もある)でしかもインタビュー形式、役者の中には長台詞に不慣れな者もいたと思うが、このマイク・カメラを向けられた人々が話しているという前提があるんで、多少の棒読みも全然気にならなくなっていった、というか、それが自然じゃんかと。しかも最も登場しているだろう、マンションの管理人(岸辺一徳)がインタビューを繰り返すたびに妙にカメラ慣れしていくのもすげぇ。また、幾人かの証言者は取材陣にお茶とか出すんだよ、どうぞって。一場面には集音マイクが映ったりして、だんだんと取材しているって意識が観ている側にもわかるようになっていく。最後は取材している側もそっくり映されるし。
 で、原作って私は一回通して読んだものの、5、6年前のことで内容はあんま覚えてなかった。ただ怖い話だったなーくらいで。映画は多分、私が感じた怖さというものをずっと維持していたと思う。それが、姿の見えない犯人である。最後の最後まで現れない。事件当夜、隣人が見たというドアの隙間から見えた人影が最初に証言されると、それがずっと物語の底流にあって、次々と証言者がカメラの前に現れて事件の概要が明らかにされても、一向に見えてこない犯人、そして被害者の姿。誰が殺されたのかわからないという不気味さが、淡々と、しかし確かな実感で持って観ている側に言葉によって伝わってくる。大量の台詞が投下され、中盤で事件の鍵を握る石田(勝野洋)が登場し、綾子(伊藤歩)も弟の証言によって実態が浮かび上がり、なんか目の前に解決する糸口がありそうで掴めないもどかしさも出てきて、ちょっとした緊迫感を保ったまま、あっという間に物語は進行していった。ほんとに2時間40分もあったのかね……と疑うほど、疲れを感じない面白さがあった。びっくりした。こんだけの台詞を聞かせられても、混乱してなかった。12月公開らしい、真面目に面白かった。
 上映後に監督が出てきて一人で延々しゃべった。話し好きな人だな。話は9.11に及び、飛行機に突っ込まれて崩落するビル、アメリカの新作映画のCMかと一瞬思ったという。もしこれが本当に映画のCMだったら、劇場で観客はこのシーンに驚いただろうけど、実際は違うということかな。こういう迫力ある映像に娯楽を求めた結果が、この事件の現実感のなさを一層煽っているのかもしれん。映画でも、事件当日の片倉ハウスの信子が「関係ない」と言う場面があって、それが事件の解決を担う立場になってしまうんだからなー。107人という登場人物は、それだけの豪華キャストだぞ、という宣伝の意味よりも、一つの事件によって、それだけたくさんの人が人生の一時期あるいは大部分を揺り動かされ影響を受け弄ばれたってことなんだよな、と監督が言ってたこと解釈している。
 まあこの手の話で私が教訓にしているのは、松本サリン事件と阪神大震災だよな。阪神大震災、もうじき10年だって。ヘリから空撮された破壊された町並み、取材に殺到した報道陣、のんきにテレビでそれを見てた私だが、リアルタイムの映像で流され続けたその画面の隅には死亡者の数がテロップされてて、その数字がどんどん増えていくんだよ。ありゃ不気味だった。衝撃的な映像よりも、それが一番印象に残ってて、そういう薄気味の悪さがずっと尾を引いてる「理由」という映画を見終わってすぐに原作の文庫版を買った。