映画「水になった村」感想

映画「水になった村」感想
監督・撮影・写真:大西暢夫
企画・製作:本橋成一  編集:土井康一  録音:米山靖  音楽:林祐介
製作:ポレポレタイムス社  配給:サスナフィルム ポレポレ東中野
 岐阜県揖斐郡徳山村は現在地図で確認できない村である。2006年秋、完成したダムに水が溜まりはじめると、村は完全に沈黙した。かつての村人は近隣の市街地に分散する。ある老婆は語る、私は先祖伝来の土地を一代で食いつぶしてしまった、と。
 映画は、ダム建設が確定し村人が退去した徳山村を舞台に始まる。1992年である。無人と思われた村に足を踏み入れた監督は、そこで今なお暮らし続ける老人たちに出会う。どのような方向に向かうか定かではなかった映画は、老人たちが画面にいきなり登場したことで、一気に固まった。カメラは、老人たちの日常に入り込み、彼等の生活を淡々と映し始めた――
 村人も数えるほどしか残っていないし、彼等とてずっとここに住み続けるわけではない。たまに市街地に住む息子夫婦、娘夫婦がやってきて生活を共にすることもある。ドキュメンタリー映画といっても、いずれ水の底に沈んでしまうという悲哀は全くなかった。観客の私も、そうした感情を惹き起こされることもなく、よく笑う老人たちの旺盛な一日一日に、つられて笑ってしまうほど、映画は楽しいものだった。
 むしろ村人にとって重要なのは、高齢という問題なのかもしれない。広瀬司さんは東京から来た青年を歓待しながらも、カメラの前で率直に語る、「次にあんたが来る時は、わしはいない」。そんなことないと否定する監督の言葉が、どこか作られた物語であるような気がした。もちろん、ここには司さんは亡くなってしまうだろう、という予感が生まれる。ドキュメンタリーという目の前のリアルを撮りながらも、映画は、編集され物語化されていく過程で、観客を劇中に没入させていくことを忘れない。
 主人公格とも言える徳田じょさん(「じょ」という名前ね)の表情が映画の中心となる。じょさんは監督を「大西さん」「兄ちゃん」と親しげに呼び、大きな牡丹餅を振る舞い、床下からいくつも漬物樽を取り出しては、これはいつ漬けた、何漬けたと饒舌だ。そしてよく笑う。自嘲しているかのような「へへへ」という笑い声は、都会から来た物好きな青年に対する照れだろうか、カメラを前にし、少し昂揚しているのだろうか。静かな消えゆく村に混入した異物・カメラは、実によく笑顔を引き出していた。微笑ましい。
 じょさんは一本のわさびを取りに山を越える。その背後をカメラが追う。話しかけたり話しかけられたり、カメラの前で自然に振舞うことははじめから放棄されている。カメラに向かって昔語りを懐かしんだかと思うと、カメラも積極的にじょさんに語りかける。片道数時間かけて到着した山の中のわさび畑で、じょさんは採ったわさびを水洗いしながら、小さな芽を、また採りに来るためにと取り除いては元の土に埋めていく。次に来る時には水に沈んでいるかもしれないのに……老人たちの日常は和やかで楽しくて平和だけれど、観客は知っているのだ、タイトルバックが水に沈んだ村だったことを。だから、当初なかった悲哀は、観客として傍観していたはずの私自身の問題となってくる。
 司さんの葬式の場面を挟むなどして村の消滅と死という現実が、観客にとってリアルに迫ってくる。映画で年齢が明かされているのは、実はじょさん一人だけだ。77歳。1992年の時点でその年齢だということは、今はもう……という思いがこみ上げても来る。不安を及ぼすような感情をできるだけ排したいという監督の配慮か。でも、カメラの前で笑っている老人の一体何人がダムの完成を目の当たりに出来るのだろうか、と考えずにいられない。
 だからといって映画は決して大仰な演出を施さない。カメラが急に走り出すこともないし、劇的な瞬間がそこに映されるわけでもない。村人の一日が何人かの被写体を通して訴えてくるものは、食べる、ということへの執拗なこだわりだった。そりゃもちろん昔の食糧難だった時代とか大家族時代ゆえにいつも大量の食事を作ることが習慣となっていたからとか、いろいろあるだろうけど、どの人々もカメラの前で山菜を採ったり、畑仕事をしていたり、食事をしていたり、酒を飲んでいたり、川で魚を獲ったり、はたまたじょさんがまたわさびを採りにいくというのでその後を追ったりと、全て食べることに終始していた。
 大食漢のじょさんは監督と同じくらいの量のご飯を平らげては「へへへ」と笑い、さっき獲った魚をすぐに料理にして食べる小西さんは、から揚げはもっと上手いとほがらかに語り、さらに庭でマムシをもてあそんで殺し、焼いて食ってしまう豪胆さも持っている。山菜採り放題の山でハツヨさんは、こんなにおいしいものを享受できる喜びに申し訳なさそうな一方ではっきりと「幸せだ」と語る。
 けど、終わりは必ずやって来る。取り壊される家。埃舞う中、じょさんはどこからか引っ張り出してきた虫食いだらけのショール(のような敷布)を懐かしむ。昔、祖母からもらったものだという。ここでもカメラは冷静だった。いたずらにじょさんの顔を追わない。壊された家の前でとぼとぼ歩く姿を映すことで、観客はじょさんの悲しみを知るだろう。
 ゆきゑさん(司さんの妻)の元にカメラが寄る。村は沈み、公団住宅(?)に一人暮らしをしている老婆の表情は悲しみに満ちていた。ご先祖様への申し訳なさもあった。なによりの落胆は、食べ物を作ったり採ったりしていた一日が、週2回のスーパーへの買い物になってしまったことに象徴されていると私は思う。レジで不慣れにお金を数えるゆきゑさんに村での快活さは微塵もない。暮らしは便利になったとしたら、この老婆は残りの週5日をどのように過ごしているのというのだろうか。
 最後にカメラはじょさんの暮らす家に向かう。91歳になったじょさんは、カメラの前でいかに振舞うだろうか。是非観る機会を作って確認して欲しい。
 上映後、監督の舞台挨拶があった。印象に残った話を書こう。ダムに沈んで湖になった村にボートを出した人がいた。手漕ぎボートで、漕ぎ手はかつての村人である(記憶違いでなければ小西さん)。何かの拍子に片方の櫂を水の中に落としてしまった。湖上とて流れなんてない。どうしようかと途方に暮れていると、ボートがある流れに沿って動いた。漕ぎ手は水の中を見やって確信する、ここは村の中を流れていた川があったその上だ、と。村はまだ、生きている。