映画「休暇」感想

映画「休暇」感想
監督:門井肇
脚本:佐向大 原作:吉村昭
撮影:沖村志宏 音楽:延近輝之
出演:小林薫 西島秀俊 大塚寧々 大杉漣 柏原収史 菅田俊 利重剛 谷本一 宇都秀星 今宿麻美 滝沢涼子 榊英雄 りりィ
 主人公の平井(小林薫)は、死刑囚の看守を勤める刑務官である。真面目に職務をこなす彼が、見合いで結婚をすることになる。相手は夫に先立たれた子持ちだった。妻(大塚寧々)と子を得た彼は、長い休みを欲するようになる。そんな時に、近しい死刑囚だった金田の刑の執行が言い渡された。刑の執行に関わった刑務官には、土日の休みに加えて月曜日も休暇が与えられ、さらに「支え役」と言われる持ち場を任された者は、一週間の休暇が追加される。何も知らない新人の刑務官・大塚(柏原収史)は無邪気に平井に、一週間も休めるなら新婚旅行が出来るので平井さんどうですか、という意味のことを言う。定年を控えた老刑務官・坂本(菅田俊)をはじめとした他の刑務官の冷めた視線。うつむく平井。映画は、執行までの日々と、旅行の様子を交互に描きながら、結末に向かって収斂していく。
 今年は森達也の大著「死刑」を読んだり、死刑執行が割りと行われることもあって、個人的に死刑制度に関心が高い。まあ別に賛成反対とか言う感じではなく、そもそも死刑って何んだろう、というような素朴な疑問の連続である。この映画は鑑賞中からして、なんかとてつもなく凄いものを観ているという興奮と緊張があった。だからといって、この映画は制度そのものを問題提起するような内容ではない。この映画の後に「おくりびと」を観た影響もあるけど(どっちも死がテーマの一部だけにすんげー疲れた)、死の上に立つことで得られた男の幸福というものが、なんとも複雑な気分にさせる。「おくりびと」の主人公の妻のよろしく「けがらわしい」みたく過敏な反応はしないけれども、制度に対して無邪気に賛成する態度の裏に、執行する人々の苦悩をリアルに体験したようだった。
 死刑囚・金田を演じる西島秀俊の淡々とした日常がとにかく凄まじい。彼がどんな犯罪を犯したのかは判然としない。だからと言ってこの映画がこの死刑囚に同情めいた視線を送るわけではない。前半、金田の房の片隅に老夫婦が立って金田を見詰める場面があるが、金田と死刑に至った経緯を推測させるのがこの場面程度である。金田は深い反応を示さない。一度就寝前に二人が立っていた場所を一瞥するくらいだったろうか。再審請求をしようと煽る弁護士との面会場面にしても、金田は生返事を繰り返すだけで何のやる気も感じられない。けれども、彼は刑務官にはおとなしい男として親しまれ、禁じられている雑誌の写真の切り抜きも大目に見られるほどである。彼はそれらの写真を元にスケッチブックにひたすら鉛筆画を描き続けるが、それさえも感情がこもってないような気配がある。「はあ」「まあ」というような気のない返事の連続に西島の粛々とした佇まいが加わって、何か達観したかのような印象さえ抱きかねない。だが、長い休暇を得た場面と交互に場面が展開していくこの映画にあって、金田は死刑執行されたのか……しかも平井は「支え役」をやったのだ……という事実が中盤以降から私を複雑な感情に導いていった。
 やっぱり死刑制度について考えてしまうのは致し方ないような気がした。映画はそのような判断を慎重に避けようとしているけれども、やはり監督はじめスタッフだって同じ人間なのだ、どうしても避けられない問題意識が時折ふっと画面に滲み出た瞬間が後半にあった。
 執行担当官が別室に呼ばれる。結婚披露宴を控えた平井がその中にいることにみんな驚きを隠せない。処遇部長(利重剛)も少し緊張している。10人前後の刑務官が集まり終えると、それぞれの役割が言い渡される。死刑囚に絞首する紐を通す者や執行ボタンを押す者、そして支え役と呼ばれる者(実際はそれぞれ役名がある、ここではわかりやすくした)。「支え役」は平井と坂本だった。平井は外せないでしょうか、という同僚の声が挙がるも、これは平井自身の申し出によるものだと部長は告げた。室を出た平井に、同僚の三島(大杉漣)が食って掛かる。何を考えているのか理解できない平井の行動、「命を何だと思っているんだ!」と三島は平井につかみかかった。
 重々しい展開の劇中にあって、大杉漣の雰囲気はちょっと一息付けるような存在だった。差し挟まれる旅行の場面にしても、平井はうつむき加減だったり、子供の機嫌を取ろうとするも報われないし、妻ともなんかぎこちないし、特に支え役をした彼が暴れる死刑囚を制止すべく・いわば止めを刺したとも言える一瞬がカットバックされてからは、金田との交流もあって非常に気が重いものである。だから三島というちょっと軽い印象がある刑務官の言動には安堵する面があった。忠実に職務をこなす生真面目な平井、何もかも諦めいているような坂本、無邪気な大塚など、誰とも無難に接し、冒頭では大塚とのばかばかしい世間話に興じたり、死刑執行が決まってからの金田との接し方など、どこか暖かかった。そんな三島が激昂したのだ。お前はそんなに休みが欲しいのか……。この場面が製作者の感情の一端であるかどうかはわからないが、一番親しみがあった役柄の三島が、いや三島だからこそ感情的になったのだろう。観客の中にだって、三島と同じ気持ちだった(主人公の意志に相容れない)人だっているはずだから。
 終盤になると、金田と平井の関係が、三島が金田に見せた同情心(現在の死刑制度では、執行は当日の朝まで死刑囚に知られてはならないのだが、うかつにも大塚と三島は金田に今までとは違う態度をちらりと見せてしまう)とは違う次元で紡がれていたことが明かされる。もちろん二人が親しく話をするような場面なんぞない。運動の時間だ、と言って金田をガラス天井の室内に連れて行って日差しの中で縄跳びをさせるところでも、平井は黙々と金田の行動を見守るだけだった。ひたすら忠実。死刑囚との距離を一ミリも動かさない。感情的な態度がない分、金田にとって接しやすい相手だったのだろうかとさえ思う。
 ある日、金田に妹が面会に来る。平井は金田を連れて面会室に入る。じっと立っていた妹(今宿麻美)に座ることを促し、金田は妹と対する。しかし、何も話さない。一言も漏らさないし、二人のアップになるわけでもない。金田の隣の机に座って筆記している平井と金田と妹の三者がじっと画面の中に居つくしている。長い沈黙。観ているほうが耐えられないほどの長さ。見詰め合っているわけでもない。やがて妹がすっくと立ち上がる(記憶違いでなければだけど。金田が先に立ったっけ?)。面会は数分で終わってしまった。平井は妹を引き止めることも金田に何か話せと促すこともしない。私のほうが一言くらいなんかねーのかよ、と言いたいくらいだった。だが、妹との面会は金田にとって大きな意味があった。おしゃべりな新人刑務官の大塚から聞いたと言う結婚話に、金田はお祝いとして平井と知ることのない平井の妻が並んだ絵を贈るのである。
 妻の顔は妹そっくりだった。平井の顔がほころぶ。この時すでに執行されることは平井も知っていた。もうすぐ処刑される金田と、それを支えなければならない平井。
 個人的に妹と対した金田の場面がとても印象深い。面会ではなく、執行直前の金田の態度である。彼は次の執行を予感したのだろう、執行前に大暴れした。それでもしばらくして落ち着き、また淡々とした日常に舞い戻る。だが、ほどなく執行を告げられるや、腰を抜かして立てないほどだった。刑務官に支えられ、執行現場に連れられていく。小さな一室の真ん中にすえられた机と椅子。刑務官がそれを囲み、金田は机に付かされる。ぶるぶる震え声も出ない。あれほど無表情な演技に徹していた西島がここぞとばかりに感情を表現しているようだった。教誨師が聖書の一節を読み上げる。泣き咽んだ金田が教誨師に「アーメン」と小さな声で応える。そして遺書を書く場面に至る。何も用意していなかった金田は、処遇部長から紙と鉛筆を与えられ、妹に向けて書いたらどうかと言われる。だが金田は書けない、書かないのか……震え続ける手。白紙の紙を二つに折ると、金田はそれを平井に差し出すのである。
 さて、話の中心が死刑囚と刑務官ばかりのようだが、何度も書いたように妻と子との旅行も劇中では重要な含意がある。新しい父親と話さず絵を描いてばかりいる幼子、他人行儀な妻。プライベートでも刑務官で居続けているような、「父」あるいは「夫」という役を忠実にこなそうとしている平井。彼は「支え役」で抱きかかえた死にゆく金田の感触に、子を抱きかかえる感触を上書きする。生と死の対照は妻と抱き合うことでさらに強調された。
 ラストの親子三人の姿が描かれた子供の拙い絵は、果たして金田が平井に贈った絵と何が違うのだろうか。