懐かしい緊張感の燕

 特に少女漫画においては、内面描写と外面描写でテンポを作ることがあるでしょ。少年漫画なら前哨戦の静けさと戦いの動きで間を計るといったかんじで。好きな相手との口喧嘩(客観描写)→後悔(心理描写)の繰り返しの恋愛漫画とかありそうでしょ。「ラブコン」なんか好例かな、主人公目線で展開される恋愛模様、接近→後退を繰り返しながら徐々に近付いていく二人。あー、でもこれは物語全体のテンポであって、局所のリズム感ではないね。私が惚れた「愛すべき娘たち」に関しては、一話一話の短い中で緩急あるコマ構成を体験できたんだから、やはり時間節の使い方が上手いんだろうな。「拝啓 手塚」で書いた無意識に作っている劇中時間ってものが、ここでもあるのかもしれない。たとえば、野球漫画で、ピャッチャー投げてからキャッチャー捕るまでの間に何人かの人物が状況や因縁を語る、なんてあるけど、さすがにもうそんな演出は今はないのか? まあ、あったんだよ、そいいうの。でもあれって多分描いている側としては、ほぼ同時に起きていることを順番にわかりやすくコマ配置した結果なんだと思うんだよ。だから同時に起きたことを表現する手段として、いろいろなコマ構成が工夫されたんだと思う。なんか2ちゃんのAAにそういうのあったじゃん、「〜〜の予感」というのが真ん中にあって、回りにいろんな状況の一場面があるっていうの。あの真ん中を野球のボールにして、周囲に投手の顔、捕手の顔、打者の顔、監督の顔、ネット裏のライバルの顔……という感じでなんかすげーボールが投げられたってことに驚く人々の表情を途端に演出できるよね。これも間だよね、コマをバカ丁寧に並べて彼らの表情を順繰りに目で追っていくときよりも圧倒的に時間を凝集している。で、次にボールがバットに当たった瞬間の場面だよ、ここでさらに間を溜めて、それからいきなり左中間破っていく打球、なんてやればで、勢いある場面が生まれるかもしんない。要は溜めだよ、どんだけ我慢してそこを描くだよね。好例がひぐちアサおおきく振りかぶって」1巻の175頁の田島のバッティングですよ、びっくりするほど似てるっしょ。これ正当な演出なんだと思うよ。前の3球をさくっと描いてテンポアップしたとろでいろんな人物の思惑を挟んで4球目でテンポ緩めるんだ、そして「ステップした?!」で一瞬を切り取って次のコマでまだ溜める、今まで溜めこんだ時間が田島の踏み込んだ足に力となって転換されるんだよね、それであっという間に左中間二塁打と。
 同じように「愛すべき娘たち」でも瞬間の濃縮ってものが、前の溜めと後ろの抜きで演出されてたんだわな。牧村「佐伯はまだ子供だね」の前の3コマの牧村の顔でゆっくり溜めて、最後のコマの白い余白とモノローグで一気に時間も場面もすっ飛ばして抜く。なんだ、やっぱすごいじゃんか。あれ、「魔女」の話がどっかいっちゃったよ。