映画感想2004

 2004年は50だか60本だかの映画を鑑賞した。たくさん観たような気がするけど、週平均1本となると案外たいしたことないな。まあそれでも、自分としてはよく観て回ったと思うし、それなりに面白い映画にたくさん出会えた。今回も前回の映画感想同様にだらだら書いていく。紹介した作品の中には、すでにソフト化されているものもあるから、暇な方は是非とも借りるなり買うなりして観てほしい。ていうか、買ってくれ。
 まずは「スウィングガールズ」 矢口作品のファンというほどではないが、矢口監督の安っぽい映画作りに好感を持っている私としては見逃せない一本だった。で、期待通りの面白さに大満足。サントラも買って、下手な演奏の中にも失わない熱血に、伏線も設定も関係なく勢いで突っ走るかつての少年漫画のような懐かしさもあった。感想ははてな日記のほうでさんざん書いたのでそちらを参照のこと。しかしまあ伏線がなってないというだけで糞呼ばわりする人を結構見かけて、なんとも寂しい気持ちにもなる。女子高生がジャズをやるという視点でも十分楽しめると思うんだけどな。
 「グッバイ、レーニン!」 鑑賞後の感動が今年一番大きかったのがこれ。ドイツ映画、監督はヴォルフガング・ベッカーベルリンの壁崩壊直前に倒れた母は東ベルリンに住む熱烈な共産主義者、崩壊して八ヵ月後に目覚めた母の心臓は衰弱し、精神的なショックは禁忌となる、そこで息子は、西側文化が押し寄せてくる東ベルリンの中で家族や周囲を巻き込んで母の前で架空の東側を演出し続けるために悪戦苦闘する。コメディ映画だと思っていたら、とんでもなかった。東側の文化を築く息子の姿ははじめこそ滑稽で、それに付き合う姉とはしばしば衝突し、周囲の西化は隠しがたくなり、ついに街中によろめきながら出た母はヘリで運ばれる巨大なレーニン像を目の当たりにするに至ると、彼の奮闘は、母のためから自分自身のためにと変化していく。そして明らかになる母の秘密、父の秘密。家族の愛情もしんみりと描きながら、映画はついに理想郷を完成させた息子に最大の賛辞を送る、母の笑顔と息子への言葉が、とても印象深い。
 「ターンレフト・ターンライト」 台湾舞台の香港映画。製作はジョニー・トーとワイ・カーファイ。主演に金城武とジジ・リョン。雨だね。傘だね。何が良いってラストカットだ。徹底的なすれ違い恋愛映画なんだけど、なかなか出会えない二人に早く何とかしてやれーと苛立つ直前のあれですよ。壁一枚隔てた隣人だけど出会えない、ならばってもう半分笑って半分拍手。なんでもありだな、まあ、あそこまですれ違い続けられるのもほとんどファンタジーだしね。で、ラストの傘二本。潔い、清々しいね。
 「犬猫」「誰も知らない」お父さんのバックドロップ」はすでに感想書いたのでいいかな。「犬猫」の感想はプロデューサーの方からお礼のメールもらって嬉しかったね。あと「茶の味」も印象深いし、物語性という観点から・アニメ通の方々からは技術的にも前作から劣るなどの理由でそれほどの評判ではない「ハウルの動く城」は私には最高に面白かったよ。魔女宅好きの私には全然文句の出て来ない良作だった。二回連続で見て、ほんとに楽しかった。指摘どおりに物語性は……でも好きな映画だ。「花とアリス」「きょうのできごと」もよかったなー。DVD買ってまったりしてるよ。
 で、今年はやっぱり韓国映画を無視できなかったね。ほんとにすごかった。特に意識してはいないんだけど、面白いは。といってもたった4本なわけで、面白かった邦画との数でははるかに劣っているけど、どれも強烈な印象を残してくれた。「ほえる犬は噛まない」で気になってたポン・ジュノ監督の「殺人の追憶」なんてさ、未解決事件をモチーフにしているという時点でオチわかるじゃん、いくら容疑者が出てきても犯人見つかんないんでしょって。でもさ、ものすごい緊張感でさ、ひょっとしたらこいつ犯人ではないの? というところまで引っ張ってくれるんだ。迫力に釘付けだった。また同じく「ほえる〜」の主演で気になってたペ・ドゥナ、彼女の主演映画ってことで観た「子猫にお願い」のまあなんとも苦い青春映画なこと(「チューブ」はつまんなかったけど)。恋人との葛藤に悩む子、貧しい生活に葛藤する子、なんにもない自分と変わっていく友達に戸惑う子、ラストが爽快かつ痛快だったなー。「オールド・ボーイ」も凄まじかった。原作の設定を生かしつつ、全く違う方向に物語を運び、いい意味で原作ファンを裏切ってくれる。原作を知らずとも、画面からものすごい力が押し寄せきて逃れられない。そして、2004年マイベスト映画が、
 「オアシス」
 監督・脚本:イ・チャンドン プロデューサー:ミョン・ゲナム
 撮影:チェ・ヨンテク 美術:シン・チョミ 音楽:イ・ジェジン
 出演:ソル・ギョング ムン・ソリ/アン・ネサン チュ・グィジョン リュ・スンワン
 しんどい映画である。非常に重苦しい中に時折描写されるコンジュ(ムン・ソリ)の笑顔が救いである。でも、観ているうちに彼女の表情が何を訴えているのかなんとなくわかってくる。もちろん私の勝手な思いに過ぎないのだけれど、でもそうでもしないと、ラストシーンの彼女の嬉しそうな仕草に納得できないのである。
 この映画は重度の脳性麻痺のコンジュ・思わず顔を背けてしまうくらいの凄まじい演技力・というか私はパンフで確認するまで最初本物の障害者が演じていると思い込んでいた(そうなると彼女の幻想場面は一体何? ということになるんだけど、それは別人が演じていると真面目に思っていた)んだけど、彼女に圧倒されてしまって、私まで劇中の差別者のような立場を強いられてしまう。で、これはとても計算され尽くされているような気がするんだけど、彼女と出会う男が、これまた非常識で子供みたく身勝手な振る舞いで周囲に迷惑をかける刑務所帰りのジョンドゥ(ソル・ギョング)という奴なのである。まず映画の冒頭でこいつの常識のなさってものが描かれる、まいったね、絶対こいつ頭おかしーよと思う自分がいて、そいつは中盤までなかなか抜けない感覚でずっとちょっと嫌な気持ちで映画を観続けてしまってて、この感覚って奴が、終盤のある一言でとてつもない衝撃となって私を襲うのである。いやその破壊力たるや、涙腺壊れたことにも気付かないほどの一瞬だった。帰宅してネットで公式HPで予告編観て涙ぐむ自分がいてびっくり。
 まあそれはともかく、このジョンドゥはひき逃げで捕まってた(もっとも、これも後に違うことが明らかになるのだが)んだけど、刑期を終えた彼は親兄弟に煙たがれながらも、なんとか暮らしていくんだけど、そんなある日ちょっくら被害者の娘に挨拶しに行く。この娘がコンジュ。コンジュの登場シーンが実に印象深くて、これがあるから後の彼女の幻想も素直に受け入れられるんだけど、白い鳩が部屋の中舞ってて、その正体は日差しを反射する鏡の光なんだよね。もうこれで彼女の表情はいつも歪んでいるんだけど、心の中はいつもいろいろ空想して楽しんでいるんだろうなって想像できるし、服着るのももどかしい様を見て、自分の体のままならない様にどこか苛立っているんだろうなとも思う。しかし、そんな私の思考とは別に、ジョンドゥは二度目の訪問で彼女をいきなり犯そうとするのである、むちゃくちゃな奴だな、と思うわけ。多くの観客もそうだと思うよ、体が不自由なのをいいことに何て勝手な奴だろうかと。これが大きな仕掛けでもあるんだけど、とにかく前半のジョンドゥのバカっぷりは腹立たしいくらいになってくるんだ。
 そんな展開があってか、彼女とデートする彼がいくら小ばかにされたり変な目で見られても、しょうがないだろうみたいな気持ちになっている自分がいる。その視線は実は彼女を奇異なものとして見てしまう周囲の人々と同じで、あーいかんいかん偏見はいけないよとたしなめつつも、やっぱり彼の言動に怪訝な顔をしてしまい、何故彼女は彼に惹かれたんだろうかって考え込む。すると、彼の言動には全く色がないことに気が付くのである。ああ、彼は彼女を障害者とか健常者とかそういう目では見ていないんだ、区別していないんだと。だから彼は彼女を背負うことを最初から厭わないし、家族と接するのと同じ口調で話しかけたり笑ったりしているんだ、彼女を女性と観てくれたのは彼だけなのだ。と、観ている側の無意識の偏見を暴き出していく。で、そんな辛さを和らげてくれるのが彼女の幻想空想シーンなのである。さっきまで体をくねらせて唸っていた彼女が、突然背筋を伸ばして立ち上がって、彼とふざけるのである。もちろん現実の場面ではない。けど、まるで彼自身も同じ世界を空想しているような錯覚があって、二人が愛し合っていることを具体的に確認できる・またこういうわかりやすい場面がないと安堵できない自分に、作り手の優しさと厳しさを知り、いやほんとに凄い映画だと実感してしまう。一等感動したのが、地下鉄の構内で彼女がカラオケで歌えなかった歌を歌う場面、見ている間からこの映画すげーすげーと感嘆していたんだけど、ここにきてもう確信したね、私はとんでもなく素晴らしい映画を観ていると。
 さてしかし、凄いのはここからなんだよ。彼女は彼と寝るんだけど、そこに彼女のお守りをしている隣家の夫婦がやってきてしまい、彼女が強姦されていると即座に判断し、彼は現行犯逮捕されてしまうんだ。観客にとっては明らかな誤解なわけで、どうにかしてこの誤解は解けないものかと緊迫しながら見詰めるんだけど、前科もあり社会に適応できない彼は事情を説明できないし、彼女はもがき呻くだけで、なにも主張できない。彼女の思いとは全く違うことを警察に説明するお守りの夫婦に苛々してしまう。で、ここで衝撃を受けるんのである、刑事は彼女を一瞥して言う、こんなのに欲情するか? 変態だな、と(うろ覚えだけど、こんな感じのことを言う)。しまった! ですよ、ほんとに。偏見なんかしてないよとさかしらぶってた自分が打ちのめされた。終盤になっても、まだこの二人の純愛を特別視していた自分を発見してしまうのである。なんてこった、泣き喚きたいのはこっちだよ、恥ずかしいったりゃありゃしない。
 イ・チャンドン監督は第一作目から社会に馴染めない男を主人公にしてきた。「グリーン・フィッシュ」では気が弱く自分の意志もままならない青年がずるずるとヤクザの世界に入り込んでゆるやかに自滅していく様を描いた、「ペパーミントキャンディー」では満たされない心に不安を抱え続けた男が本当に欲しかったもの・求めていた人生を絶望的な状況で観客に教えた。第三作目となる本作は国際的にも評価されるわけだが、社会・世間にうまく適応できない男が理解されないまま世間に拒まれていく悲劇を、理解されないままに描ききってしまう神業をやってのけてしまった。1作目の青臭さも二作目の衒いもない、淡々としかし底流の熱情はもっとも大きく、心の底からの衝迫に、しばし呆然。
 ラスト、彼からの手紙が読まれる、彼女は部屋の中で楽しそうに空想していることだろう。彼の魔法は確実に私の心の影をも消し去っていたのだ。素晴らしい。