映画「ゆれる」感想

映画「ゆれる」感想
原案・脚本・監督:西川美和
製作:川城和実、重延浩、八木ケ谷昭次  企画:安田匡裕、是枝裕和  プロデューサー:熊谷喜一
音楽:カリフラワーズ  撮影:高瀬比呂志  照明:小野晃  録音:白取貢  美術:三ツ松けいこ
編集:宮島竜治  キャスティング:田端利江  助監督:久万真路  製作担当:白石治  制作プロダクション:テレビマンユニオン
主演:オダギリジョー 香川照之 伊武雅刀 新井浩文 真木よう子 蟹江敬三 木村祐一 田口トモロヲ ピエール瀧

(ネタバレ注意)
 兄と弟がいた。仲の良い兄弟だった。母の一周忌に顔を合わせた二人の姿は、しかし対照的だった。東京で写真家として独立し公私充実している弟・猛(オダギリジョー)の自信ある態度、父の後を継ぎ地元でガソリンスタンドを営む温和で人当たりの良い兄・稔(香川照之)。弟の振る舞いに父(伊武雅刀)は法事の会席で激昂、御膳を乱した拍子に倒れたお銚子から酒がこぼれると、父と弟の諍いをとりなしつつ場の雰囲気を損ねず畳を甲斐甲斐しく拭く兄のズボンの裾に銚子から酒が滴り、ぽつぽつと湿らしていった。それを忌々しいような表情で凝視する弟には何者かへの侮蔑がほの見えた……
 西川美和監督の長編2作目。1作目「蛇イチゴ」は傑作だったが、それだけに2作目への期待は大きかった。出演者に実力派を揃え満を持しての公開となったが、果たして個人的な評価はどうだろうか。……期待は裏切られなかった。
 鑑賞後に感動とは違う衝迫が胸を突く。これは一体なんだろう。えぐられるとでも言おうか。
 法事後、母の形見分けに母が生前撮影した8ミリフィルムを兄から譲られた弟。懐かしいね、と兄と語らう姿は睦まじい。兄は母の死後、家事全般をすすんで勤めていた。弟が地元を離れて好きなことに邁進できたのも兄のおかげかもしれない。だが私には、弟が会席で見せた視線が忘れられず、彼は、父はもちろん兄をも・もっと広げて故郷さえをも憎んでいるのではないかと憶測するに及ぶと、再会した幼馴染への態度に私は軽薄さを感じ始めていた。彼は東京の会社で仲の良い女性がいた・多分付き合っているだろう。法事に出かける直前の場面で彼は彼女にキスをするからだ。それを拒まず笑顔で受け入れる彼女。
 兄の下で働く幼馴染の智恵子(真木よう子)は、弟が家に送るという申し出を受ける。兄もそれがいいよと言い、弟に食事代まで渡す。車内の会話・仕草から昔付き合っていたらしい様子がうかがえ、智恵子の家に着くや否や二人は求め合った。ああ、こいつはやっぱり女に軽薄かもしれんと私は思う。実直な兄のほうが余程いい。そんな兄は、自宅で洗濯物をたたんでいた。帰ってきた弟は、静かに家事をこなす兄の背中を見詰める。「しつこいだろ」「?」「酒飲みだすと」「まあそうなのかな、飲めるんだね。俺、手持ち無沙汰でさ……」
 翌日、兄弟と智恵子は幼い頃よく遊んだ渓谷に来ていた。兄に誘われる形となった弟は「たまには田舎に来て見るもんだな」とか言いながら写真を撮り続ける。川の中に入って魚を取ろうとはしゃぐ兄に対し、智恵子は半ば冷めた顔で弟に愚痴るように語る、「私も猛君と一緒に東京に行けばよかった」。弟にとってそれが迷惑なのは明らかだった、私にも明らかだった。前日、事を終えた彼は、彼女が作る料理には目を向けずさっさと帰っていたからだ。彼女だって猛の気持ちは察していたろう、作りかけの料理をそのままに、彼が置いていったタバコの空き箱をもてあそぶ姿はどこか未練がましかった。智恵子の言葉をはぐらかして弟は渓谷の奥に歩いていく、つり橋を渡って。
 夢中になって写真を撮っていた弟。彼を追ってつり橋を渡る智恵子をさらに追うものがいた、兄である。引けた腰で怖々していながらも、危ないよ智恵ちゃんと身体を支えようとする、いや、怖くて彼女にしがみついたのかもしれない。兄とも仲が良さそうだった彼女はだが、嫌がる。びっくりする兄はどうしたのと彼女の肩をつかむと、次ははっきりと拒絶され、手を振り払われてしまった。職場の彼女からは想像も出来ない本音、雑言、揺れる橋。二人の争いに弟は気付いた、気付いてつり橋を見たとき、彼女が落ちた。事故か、兄が突き落としたのか……
 ここからが本作の肝である。緊張しっぱなしでくたびれてしまう映画でもあるが、すさまじい。着地点はなんとなく予想が付いていた。事故か殺人か、裁判が始まり、やがてつり橋の上で何が起こったのか、おぼろげに見えてくる。しかし鑑賞者にもっとよく見えてくるのは、兄と弟の関係である。ちょっとした事件を起こし、取調べで自白し、逮捕されてしまった兄だが、裁判が始まると、あれは事故であると主張するようになる。いまいち感情移入できなかった弟だったが、彼が見た真実がひょっとしたら……という思いから、裁判が始まるまで真面目さに好感を持って見詰めていた兄に対し深い疑惑を向けていたのである。兄と弟への視線が、まったく逆転していたのだ。兄の無実を晴らそうと弁護士の伯父(蟹江敬三)をたきつける弟の姿に、私はすっかり感情移入していたのである。監督の術中にすっかり嵌っているかもしれないけど、そうなんだから仕方ないじゃんか。だから公判がすすむにつれて、どんどん怖くなっていくのである。優位な弁護側、だけど唯一の目撃者・現場の争いには気付かなかったと弟は主張しているので、公判中の目撃者はいないことになっているけど、弟は見ていた。何が起きたのか。
 兄への不信感は弟に葛藤を生む。私にも生まれる。それはやがて言葉になって慄然とさせられた。兄は、自由奔放に生きている弟を妬み、憎み、羨んでいる様子が面会室での会話から浮き彫りになっていくのだ。やっぱり殺したのか? 故意に突き落としたのか? 智恵子に好意を抱いているのを知りながら彼女を抱いた弟・彼女に腹が立ったのか。兄の表情は恬淡な様でありつつも、出てくる言葉が次々と弟を追い込んでいく。「ふざけんな」とついに赫怒した弟は、最後の公判で証言台に立ち真実を語り始めた。あのつり橋の上で何が起きたのか。
 「蛇イチゴ」のラストが示すように、本作もここまでが長いプロローグかのような鑑賞後の印象である。弟の証言シーンさえ山場ではないのである。それに気付かされたときの衝撃ったりゃありゃしない。真実もゆれていたのだ。物語は、ここから一気に加速する。冒頭からさまざまな伏線を用意していたが、全てラストになだれ込んでくる。右腕の傷、事故後のちょっとした騒動さえ警察に捕まるためにしたのではないか、昔のフィルムに写っていた兄弟の姿……。感情的に切迫しはじめて行き場を失う弟を演じるオダギリの熱意、ほとんど無表情なままの兄の感情を表現仕切ってしまう香川照之、圧倒された。
 ラストシーン。「兄ちゃん」と叫ぶ弟。遮る道路と車の走行音、まるで渓谷の激流みたいだ。「兄ちゃん、兄ちゃん、うちに帰ろう」嫌がっていたはずの田舎、見下していたはずの故郷を、最後に弟は受け入れる。ここには兄との思い出がある、優しい兄と遊んだ場所がある。かけがえのない存在に彼はようやく気付いたのだ、「うちへ帰ろう、兄ちゃん」。失ったものは大きすぎるかもしれない。でも、嬉しいじゃないか、たったひとりの弟だもん。
 最後にやっと見せた兄の表情・本当の笑顔に、泣いた。