映画「ラブ★コン」感想

映画「ラブ★コン」感想
 漫画原作映画ということで、中原アヤ原作「ラブ★コン」。
監督:石川北二 脚本:鈴木おさむ 音楽:川口大輔
主演:藤澤恵麻 小池徹平玉置成実 山崎雄介 工藤里紗 水嶋ヒロ谷原章介 温水洋一しずちゃん南海キャンディーズ) オール阪神・巨人 寺島進 田中要次 畑正憲

 ……おもしれー。いや、映画がよかったという意味ではないんだが、主人公・小泉リサを演じた藤澤恵麻のくるくる変幻する表情に翻弄されっぱなしだった。藤澤すげー。普通にすましていればモデル然(まあ実際にモデルだけど)としたかっこいい女性って感じなんだが、そんな外側の・上っ面の美形を自ら崩して原作に負けじとしわくちゃになるは鼻おっぴろげるは泣くは戦うはと大暴れだった。物語そのものにはたいして見所はないんだが(だって結果はわかりきってるじゃないか)、藤澤の挙動を見ているだけで、こっちがキュン死しそうなくらい魅力的だった。
 小泉とともに重要なキャラクター大谷を演じる小池徹平は逆に控えめだった。昨年公開された「誰がために」で殺人事件を起こす少年を演じてたのが彼だったのか。いやー、それからは想像できんな。「誰がために」では何考えてんのかわからない少年をひょろりと演じていた。すぐに少年院を出て親の元でぬくぬく働いているという嫌な役どころだったんで、違う意味で控えめだったんだけど、「ラブ★コン」は周囲がうるさすぎるため相対的におとなしい印象がある。だがこれが効を奏したと言えよう。リサから見た大谷は何を考えているのかわからない、だからいろいろと表情を作って深読みさせるよりも無表情を通したほうが、観ている側が彼の表情に色を付けられる余白が出来る。でも正直、藤澤のような魅力は感じなかった。静かにしてればかっこいい男性だけど(「誰がために」もセリフはめっちゃ少なかったし)、声を出すと、どうしても藤澤の高い声と張り合うために大きい声の台詞回しが多く、声に抑揚がなくなり、結果的に演技まで単調に見えてしまった。
 さて、王道を行く展開となると、普通に作れば原作のダイジェスト版に堕しやすい本作であるが、いやまあ少しはまとまりすぎてて展開にメリハリが足りないというか、行き当たりばったり感が付きまとってはいるものの、原作から摘んだ挿話に抜かりはなく、重点となるべきところはきっちり抑えているので、安心して楽しめる映画になっていると思う。
 しかし、やはり話の行き当たりばったり・流れのぶつ切り感は否めない。もちろん本流はリサの気持ちに大谷は気付くのか・受け入れるのかってのがあって、至極わかりやすいので演技や演出で脱線しやすい・遊びがしやすいということなんであるが、突拍子もない行動をする脇役、例えば担任の教師役に温水洋一を配したことで出来たカツラネタ、海坊主(寺島進)のヒップホップ(「おさかな地獄」じゃなかった)、修学旅行先の人力車の車夫を演じた田中要次に変なメイクを施したりと、とりあえずこの人にこんな役やらせたら面白いんじゃね?みたいなお気楽な発想と思えるような演出が次から次へと押し寄せてくる。うむ、笑いは起きた。私も笑ったし楽しんだ。ムツゴロウさんの登場にはゲラゲラわらっちまった。……で、だからどうしたという思いが脳裡から離れない。過剰な演出は役者たちの過剰な演技と釣り合っているという評価もあろうけど、私はむしろ両者が相殺されているような印象を抱いたのである。
 原作でリサと大谷を繋げる重要な鍵が海坊主である。彼を寺島進が演じている場面で私は感激すら覚えた。この後修学旅行先で会っちゃうんかなとか、気まずい雰囲気になってもライブを一緒に大盛り上がりとか、なんかそんなのを想像していたら、カラオケのPVのみの出番だったのである。では映画で重要な鍵になるのは何かって言うと、原作にはない彼女が恋人ののろけ話をするという番組「彼女さん こんびんわ」(司会はオール阪神巨人)なのである。またリサの姉(原作では弟がおったよな確か)に南海キャンディーズしずちゃんを起用し、これはこれで面白かった・彼女もデカいからな、で姉妹の会話から姉がこの番組に出たがっていることが知れると、そこからああ彼女も番組に出るなと、そんでもってあれか、最後はリサも出るわけか……という私にとって萎えた展開が予期され、ほんまにその通りの展開になり、映画オリジナルネタの弱さ勢いのなさしょぼさアホさがもう腹立ってきた。脚本の鈴木おさむ、所詮バラエテイ番組上がりの低俗な奴だなと蔑みいっぱい。スタッフの狙いは「下妻物語」「嫌われ松子の一生」の中島哲也なんだろう、まあそんな意図はなかったとしても、出来上がったものは結局中島哲也の亜流・出来損ないでしかなかったように思える。
 一言で言うと映画オリジナルネタと原作ネタの乖離が、最大の欠点なのである。物語に様々な矛盾を抱える結果に陥った。前半の合コン、原作では背の高い人なら誰でも言いという理由で大谷の中学時代の友達が登場するという自然な流れがあった(大谷はバスケ部だから友人に長身どもがいてもおかしくない)。だが映画はそれと関係ない・いかにも気持ち悪い人という形象のキャラが現れ、そこになぜか大谷もいるという設定なのである。こいつらと大谷はどう繋がっているんだという突っ込みは不粋なのだろうか。原作ネタを膨らませて一層わかりやすく仕上がっている場面(例えば海坊主のクリスマスライブ前で寂しさのあまり泣いてしまうリサ→大谷、リサを見つける→傷の手当てで薬屋へリサの手を引いていく→大谷に惚れるリサ)なんかもあるんだが、その一方の意味が通らない場面、挿話の面白さのムラがもったいないんだよな。
 こんだけわかりやすい真っ直ぐな物語だからこそ許せたバラエティ番組のノリで展開される本作は、確かにその場は楽しい。だが劇場を出た後の余韻のなさはなんだろうか。ひとつには音楽があるだろう。本作の隠れた魅力が音楽なのである、物語の節目に必ず流される「彼女さん こんびんわ」のコーナーはのろけ話の後に歌を歌うんだが、それらがいずれも女の子の気持ちを歌った過去の名曲(音楽に疎い私でも耳にした事のある歌だったので多分名曲)で、その歌が次の挿話の導入部に繋がっていた。だからこそ、だからこそエンディングで流れる曲もそれらの曲に並ぶ歌であって欲しかった、欲しかったんだよー。楽しかった気分がぶち壊された歌だった。
 で、原作の魅力にリサと大谷の会話の面白さを感じていた私にとって、本作はそれほど評価できない出来である。藤澤と小池の立ち姿は原作に勝るとも言えるけど、ボケと突込みが全然足りない。そしてやっぱあのラストなんだよな。なんで漫才(会話)をしないんだろう。例の番組に出たリサ→大谷、それを街頭の大画面で見て「あほー」→歌を歌うリサ→そのままエンディング曲へ……冒頭で息のあった漫才をテロップ付きで演出していたわけで、ラストシーンも漫才する二人ってな感じじゃないんかな、それが王道の物語かと思うんだが、映画オリジナルネタにこだわりすぎているように思えるんだ。
 あえて断言しよう、この映画は原作への愛情ってもんがない、まるっきりない。原作をネタにもっと面白いもんを作った自分たちってすごくね?といった自己愛しかない。谷原章介に罪はないけどマイティ先生の設定はやりすぎだろ。なんか口惜しい、もったいねー。とりあえず変人にしとけば面白いだろっていう安直さが苛立つ。
 文句ついでに一つ。この映画、撮影は12月に行われている。当然夏の海もプールもカット。千春を演じたグラビアアイドル工藤里紗の見せ場がねー。