映画「さくらん」感想

映画「さくらん」感想
 さて、漫画原作映画ということで、安野モヨコ原作、蜷川実花監督「さくらん」
 正直言うと、原作はあまり好きではない、そもそも安野モヨコ作品が好きではないので、原作との比較は控える。いや、ちょっとだけしておくか。原作のつきはぎなエピソードを映画は金魚や桜など赤を基調としたイメージで圧倒し、なんというか、一本の筋ある物語として紡がれている一方で、安野作品にどこかあるお気楽さとかテンポの良さとかカッコよさみたいなもんは損なわれ、映像と音楽で寄せきってしまおうという強引さがうかがえた。出演者の魅力に負った演出が全編にわたり、監督のこだわりが映像にしかないことが丸わかりで、音楽を担当した椎名林檎のPVと揶揄されても致し方のない出来である。ただ、原作では、ちぎれちぎれだった物語・っていうか、原作は未完なんだよね、だから筋を通すための日暮と清次のほのかな恋情が創作され、これがラストを引っ張っていくことになる。
 でも、私は結構楽しんで観たんだよ、これ。はなっから原作を頭に入れず観たせいかもしれないけど、演出とかそういんのでは期待できないのを、うっすらどころか、はっきりと見えているラストの展開に向かってどう物語を転がしていくか、というのが見物だった。そこで注目して欲しいのが、脚本のタナダユキなのだ。
 私にとってタナダユキってば、「月とチェリー」なんだよね。この映画、ラブコメならぬエロコメとでも言おうか、女の官能小説家と彼女に振り回される純情な男の子のドタバタをもったいぶらずにサクサクと展開していく爽快な映画なのである。だから私は物語そのものにはじめから眼目があって、出演者なんかおまけなんですよ、偉い監督にはそれがわからんのです。だから、ちゃんと話が繋がっているっていうだけで、なんかもう全部OKみたいな感じで、かむろ時代の日暮と清次が稲荷神社の咲かない桜を前にした挿話一つで、もう大まかな話の筋道をつけた脚本に好感を持っている。
 でもまあ見た目だけでもう映画が映像と音楽を前面に押しているわけで、脚本家の名前だけなんだか浮いていなくもないんだよな……誰それ? みたいな感じがあっただろう。だから知らない人、「さくらん」つまらなかったけどもっと濡れ場見たいとか言う御仁は、どうぞ「月とチェリー」を見てくだせぇ。主演の江口のりこは当然のように裸体を晒しているよ。
 ヌードと言えば主演格が皆セミヌードに止まっているっていうのもいただけないだろう、別に見せろって話じゃない。冒頭、湯に入る場面で女性の裸体が強調され、カメラは執拗におっぱいをアップで映し続ける。無名といっては失礼だけど、そういう役者さんたちが裸晒して演技しているのに、土屋にしろ菅野にしろ木村にしろ、不自然なカメラワーク・編集によって映さないように細工されているんである。もうダメ、見せないんなら他も見せないようにしてほしい。こういうのをやってしまうから、映画に没頭できない、事務所の都合とか役者の都合とか妄想してしまう。
 ラストはもう決まっているわけだから、あとはどう脇道に逸れても構わない余裕が生まれるはずなのに、逸れ過ぎにも程がある。音楽だ。さすがに歌唱付きのBGMが何度もあると食傷である。セリフ入れられないから物語の流れはそこでせき止められ、映像はたちまちPVと化してしまう。物語としては、そこで年月の経過が表現されるんだけど、2時間で何度も「それから数ヵ月後」とか「数年後」とかやられる(そういうテロップが入るわけではないけど、数分間椎名林檎の歌をじっと聞かされてると、本編の話がそのたびにリセットされてしまう)。テンポもなにもない。そこでスピードが0になってしまうから、また加速つけて盛り上がってきましたってところで、また歌が入る。いっそミュージカルなら、待ってましたと手拍子したくなるのになー。
 でも、原作をよくまとめられてはいるんだよ、ほんとに。原作のセリフ・言葉を随所に散りばめ、だからといって徒に説明セリフを増やさないし無駄なエピソードも作らない。これ、挿入歌を全部取っ払えば、かなりテンポいい映画になるんじゃないのか。三雲との確執は、原作では1話目で首切られる高尾が背負うことで、惣次郎に惚れて地獄を見る日暮と死んでしまう高尾が対照され、「泣いたら負け 惚れても負け 勝っても負け」という原作の言葉が印象付けられる。粧ひのかんざしが日暮に受け継がれ、それがまたしげじに受け継がれるというエピソードも、ラストで月を見るしげじの表情に深い意味を与える。清次と日暮の関係も付かず離れず、微妙な距離感だけど、惣次郎に会いに吉原抜けんする日暮をそっと見逃したり(原作にもあるけど)、これは安藤政信の魅力にしか過ぎないんだけど。高尾が首から血を噴出して果てる場面の演じた木村の表情も良かったな、ああ、あの血も赤を強調したかっただけか。でもこの映画は良くも悪くも土屋アンナありきであり、蜷川実花ありきなんだろうな。土屋は「茶の味」で普通の高校生役もやってるのに、「下妻」も含めて生意気な役ばかり印象付けられて、役者としては不幸なんじゃないのか。