映画「バッシング」の感想

監督・脚本:小林政広
撮影監督:斉藤幸一 編集:金子尚樹 助監督: 川瀬準也 録音:秋元大輔 効果:横山達夫
製作:モンキータウンプロダクション 配給:バイオタイド
主演:占部房子/大塚寧々 田中隆三/加藤隆之 本多菊次郎 板橋和士 香川照之

 イラクの日本人人質事件から着想を得たというので覚えている人もいるだろう映画が今年の初夏公開されるらしいんだけど、どういう経緯か、地元の映画館が一般公開の先陣を切ることになった。ほんとに何でだろ。撮影は北海道だし、監督が地元出身というわけでもないようだし。なのでこの映画が公開されてるのは今現在、長野だけ、というわけでこんな機会を逃すわけにもいかないので早速観てきた。一週間の限定公開・今週末で公開が終わっちゃうし。
 例の事件については個人的にたいして関心がない。事件中からいろいろと憶測が飛んでいたようだけど、3人が解放されてあーよかったよかったと思ってたら自己責任という大義でものすごい非難が噴出した。何でそんなに怒っているんだろうというのが正直な感想だった。で、まあこれは私的な事件に対する感想に過ぎないんだけど、どういう思いで事件を見ていたかで、多分映画の印象もかなり変わるかもしれない。人それぞれと言えば簡単だけど、やっぱり例の事件が大前提になっているのね、鑑賞者には。少なくとも私はそう感じた。そして、主人公がバッシングの中でどのような決断を下すのか、これについてもまたさまざまな意見が出るはずだ。問題意識がすんごい高い映画だと思う。
 ただ、そういうのをすっと飛ばして平静に観ても、この映画を私はいいと思ったよ。話の落としどころはオーソドックスで安心したし、主人公の表情をつぶさに描写しているから、ラストも好印象のまま余韻に浸れたし。で、これからどんな映画かを書くんで、ネタばれには気をつけてね。まあこの映画のチラシのあらすじがほとんどばらしてるけど。だからとりあえず観ようと思う人は、チラシも予告編も観ないほうがいいと思う。まあ私はチラシ読んでから映画観たわけで、それでも面白かったんだけど。


 さて、物語はどこぞのさびれた港町が舞台。波の音が印象的なこの街の中で主人公・有子(占部房子)はきびきびと働いていた。ホテルの部屋の清掃とか片付けとか、真面目に無駄話もなく。ところが上司(香川照之)に突然呼び出されてクビにされてしまう。例の事件の当人がいることで、職場の雰囲気が悪いというのだ。お金が欲しいから働かせてくれと迫るも、またあそこへ懲りずに行こうというのか?国中に迷惑かけて、みたいなことを言われて、結局聞き入れられず、彼女は自転車にまたがって帰路に着く。帰途、海を見詰める彼女。奥歯をかみ締めているのか、泣くのを我慢しているのか、唇をゆがませながら、苦笑いともなんともつかない表情が心に残る。
 という冒頭のやりとりをはじめ、彼女が世間から猛烈に叩かれまくって厳しい状態で生活している描写が全編にわたる。コンビニでおでん買った帰りに見知らぬ男性3人におでんの入った袋を奪われてぐちゃぐちゃにされたり、彼氏(正確には元彼)と会ったらいきなり面罵されたり、同級生に会ったら「あんなこと普通の人には出来ないわよねー」みたいな感じで「早く結婚すれば」とか言って、でも有子は普通の人じゃないから、わたしたちには真似できないわよねーとか言われたり、非難する電話も当然かかってくるし。事件から半年経ってもそういう状態で、彼女はもちろん彼女の親も大変な苦悩をしていることが察せられるわけ。
 冒頭から彼女が再びあの国に行こうとしていることはわかるんだけど、お金なくてさてどうしようかと。そんな時に父(田中隆三)も失職してしまう。会社にまで非難の電話やメールが来てとうとう上司に退職を強いられて、土下座するけど結局辞表を出して退職してしまう。母(大塚寧々)も母で弁当工場で働いているんだけど、とにかく親子が住んでるポロアパートも含めて、貧しい生活をしているんだよね。ボランティアは金持ちがすることとかいう言葉も劇中であるんだけど、彼女がなんでそこまでしてあの国にこだわるのか、行こうしているのか、この物語の一つの鍵になっている。で、母親役が大塚寧々ということで、随分若いなーと思った人もいるはず。まあつまりはそういう設定なのである。その辺は特に登場人物がべらべらと今の心境を語ったり状況を説明するわけではない。察せられる程度に描写されている。で、この設定がいいんだ。世間の冷たい風、住んでる場所も海風強くてさぞかし寒いだろうなと思うし、有子はおでん好きらしくて、それを買う場面が何度かあるし、ただでさえ寒い外の世界、せめて家の中だけはって思うんだけど、若い母親(多分継母。ていうかプレス見たら継母ってはっきり書いてあるんだけど)ともうまく行ってないらしくて溝がある。家に帰る場面が幾度も描かれる。家に着くまでの間、別に彼女の足取りが重いわけではないんだけど、間がいつもあるので、そこで見ている私は心理的に有子は家に帰るのを嫌がっているっぽいなって思った。ドアノブに手を当てて、いつも誰かが先に帰っていて、扉を開けるときにやっと一瞬躊躇する感じを与える(実際ちょっとためらいがちに開けるんだけど)。この辺の母との距離感の描き方が、私は好きなんだよね。説明がないけど、登場人物の動作で二人の微妙な関係を描いているっていうのが表現してるって感じでいいなー。別に小道具使った暗喩があるわけでもない、ほとんに役者の表情の力が問われるところでもあるね。
 帰ってきてすぐに自室に閉じこもるのはわかりやすいけど、家の中でも居心地が悪くて、安らげる場所がない。ベッドに横たわっても非難の電話がかかってきてやかましい。果てに電話を外に放り投げてしまう有子。憤りが手に取るようにわかる。そして酒浸りになってしまう父。一時は「強く生きれ」とボランティア活動にさんざん反対したものの応援する側に回った父が、一気に落ちぶれてしまう。娘にはそんなこといいながら、自分は弱いなみたいなことまで言い、母に死にたいとこぼすまでに至る。
 そんなある日、帰宅した有子は居間にいない父を見つける。開け放たれた窓、風にはためくカーテン、ベランダ、波の音。以前電話を放り投げた場所。カメラはゆっくりとまわりながら、ただ海を映すだけだ。
 経文を読み上げる坊さんの後ろには母と娘の二人だけ。この場面の切り替えしにびっくりした。親子が直面している現実が、映画も終盤になって、やっと生々しく私を直撃した。やはり例の事件が前提としてあるから、非難される有子を遠くから見詰めている自分が常に意識されているんだよね。決して彼女に感情移入してはならないみたいな。それは私にも自己責任は少しはあるんじゃないの?という思いがあるからで、でも劇中の有子はそれさえもわかっているから、その強さにだんだんと惹かれていくんだ。占部房子って役者さんはこの映画が初見なんだが、ぱっと見は普通のその辺の女性みたいで、美人という印象はないものの、表情の力強さと動作のきびきびした様子が、彼女をヒロインとして意識していく糧になっている。有子は自分が被害者であることを殊更強調しない、耐える、ひたすら耐える。父も母も耐えていた。けど、父は耐え切れなかった。ここで感情が崩れていく。一人むせび泣く有子、「あの人を返して」とあたってしまう母。ここに至り、有子はついに決断する。私は誰にも必要とされていない、だから必要としている人たちがいる場所に行く。彼女にとっては、おそらくそれだけなのだ。善意とかじゃない、極めて身勝手な・自己満足だと非難されるのもわかっているけど、自分を求めている人がいる場所に行きたい、そういう場所で生きたい、切なる望みなのだ。普通の人は、それが身近にいるのだろう、でも彼女にはそれがあの国にいた、ただそれだのことなのかもしれない。
 有子の決断は、鑑賞者にさまざまな思いを抱かせるだろう。残された母はどうなるのか、また同じ事件に遭ったらどうするのか、あまりにも自分本位過ぎやしないか、いろいろ出てくると思う。母を継母にしたため話は落ち着くところに落ち着いたように見えるが、それは作劇上のトリックかもしれない。でも、海を見詰める彼女の笑顔を見ていたら、やっと笑った彼女を見せられたら、なんかもうどうでもよくなった。
 ただ一つだけはっきりと文句を言いたい。自転車にはちゃんと鍵掛けろ!