映画「ガチ☆ボーイ」感想

映画「ガチ☆ボーイ」感想
 小泉徳宏監督が「タイヨウのうた」に続き再びやってくれた。王道的展開、どこかでみたことあるシーン、いろいろとあげつらうことは出来るかもしれないが、感動必至の青春映画だ。
監督:小泉徳宏  脚本:西田征史  原作:蓬莱竜太
音楽:佐藤直紀  主題歌:チャットモンチー「ヒラヒラヒラク秘密の扉」
撮影:葛西誉仁  照明:佐藤浩太  美術:五辻圭
製作:亀山千広・阿部秀司・島谷能成  プロデューサー:織田雅彦・安藤親広・明石直弓
主演:佐藤隆太 サエコ 向井理 仲里依紗 泉谷しげる 宮川大輔 川岡大次郎 瀬川亮 西田征史 中谷竜 小椋毅 久保麻衣子 フジタ“Jr”ハヤト
製作:フジテレビジョン・ROBOT・東宝

 予告編からすでにネタばらしじゃね? と思っていた主人公・五十嵐が抱える記憶障害という重い設定は、序盤、明かされることはない。予告編を何度も見ていたので、彼が写真を撮ったり何でもかんでもメモしたり、というプロレス研究会の部員達から変な目でみらるも、やがて部員達は彼のそんな行動に馴れ、いずれ真相を知って……という予測が当初からあった。すっかりさびれてしまったプロレス研究会に彼が入部し、その少しおどおどした態度やなかなか演技を覚えられず(学生プロレスでは真剣勝負は行われず、あらかじめ筋書きのある戦いを演じなければならないという設定)、必死にメモを取ったりする様子に正直やきもきした。だが、五十嵐が毎回毎回同じ駄洒落で笑ったり、明日の約束を言われることに怯えたりする姿に、次第に同調していくのである。
 北海道の大学の学生プロレスサークルを舞台に、事故によりその日の記憶が翌日には消えてしまう青年がプロレスを通して生きる希望・活力を得ると書けば、前作のXPに続き今度は「博士の愛した数式」よろしく記憶障害か、と思っていた自分がバカだった。いや実際「博士〜」を思い出す場面もあるし、山場では「お父さんのバックドロップ」が頭に浮かんだけれども、この映画はそれらの展開を踏まえた上で、一歩先に進んだ作劇を試みているように感じた。彼の設定を知っている観客にとっては、彼の日常をくだらないギャグを挟みつつ描写することで、実は結構活き活きしてるじゃんと思わせてしまう・あるいは記憶障害であることを知らなくとも、彼の振る舞いのたどたどしさ、父とのぎこちない触れ合い、兄想いの妹、部員達との交流という平凡の積み重ねが、楽しく青春してるじゃんと思わせてしまう。しかし、ひとたび彼の真実の姿を知った時にとてつもない衝撃が観客(というか私)を襲った。予告編は壮大なミスリードだったのかもしれない。
 マリリン仮面というリングネームをもらった彼は、デビュー戦にだんどりを忘れてしまうという大ポカをやらかしてしまうが、やけくそになったのか本気で相手に挑んでしまう。最後まで諦めずに戦う姿はここでは描かれない。ただ立てないほど疲弊してリング裏に運ばれ、相手をした先輩部員が流血するも、次の試合があるといって現場を去る部員達。残されたマネージャーと先輩部員の前に妹が現れ、兄の障害を告げた。
 中盤までコミカルな演出も見られた楽しいサークル活動の物語が、ここから一転して主人公の立場と向き合わざるを得ない状況になる。五十嵐がマネージャーに好意を持っていることは、特に最初のバスのシーンではっきりとなるのだが、このマネージャーの鈍感さの演出かと思われるシーンが、リセットされて何度も反復されていたという事実が後に彼女本人の涙によって語られることになる。五十嵐を普通の大学生である描写を強調していた反動が、妹の告白以降に伏線の回収という形でどっと押し寄せてくる。
 帰宅した五十嵐は、父がのれん(実家は銭湯を営んでいる)を仕舞おうとしている現場に遭遇する。父のよそよそしい態度にショックを受ける五十嵐。事故前の記憶が残っている彼にとって、父のその態度は、記憶のメモという情報ではわかっていても感情では理解できない。その後、父がいきつけと思しき居酒屋で息子を自慢する姿が描かれ、父の苦悩が浮き彫りになっていく。事故後の息子との接し方がわからない父、兄を心配する妹、母はすでに亡くなっている三人家族は、兄の障害のためにそれまで仲良くやっていた関係が一変に崩れてしまっていた。しかし、彼は覚えていない。先述のバスのシーン・劇中、彼の障害の現実をまざまざと見せ付けられる、とても印象深いこの場面においても、マネージャーがどんな思いで彼と接していたのか、何も知らなかった五十嵐の悲しみが唐突な雨というわかりやすさで演出される(他にも大事なメモを落としてしまったシーンには救急車のサイレンが遠くで鳴り響くというような王道的演出が随所で施されている。これを平凡ととるか堅実ととるかは意見は分かれるかもしれないけど、こんな薀蓄はラストで全部吹き飛ばされるだろう)。
 人間の記憶は二種類あることをプロレスという肉体を痛みつけるスポーツで発見させる点も見逃せない。練習で付けた身体の傷は翌日になっても消えない、予告編でも印象深い・傷に触ると昨日何をやったか思い出せる気がするという意味のセリフがあったけど、この言葉も終盤に観客をその気にさせてくれる装置になっているのだ。練習(あるいはちょっとしたセリフ)の積み重ねが結実する山場の対決は、圧巻である。
 ついにみんなに記憶障害のことが知られ、「お前は入部した頃から何も変わっていない」とぶつけられ(このセリフの辛さも後に父との対話ではっきりする。細かいところまで息の届いている綿密な脚本だ)、落ち込んでしまう五十嵐は、それでも彼自身のプロレスへの強い思いと部員達の思いやりによって、学園祭に用意された地元の学生プロレス会の雄・シーラカンスとの真剣勝負に向けた激しい訓練が始まった。
 彼の成長はドロップキックという技に象徴された。はじめは全然高く飛べずキックすら出来ない彼の、何度も何度も練習するシーンが執拗と思えるほど描かれる。少しずつ高くなっていくジャンプ、らしくなっていくキック……部員達との結束も戻り、彼の技も磨かれていった。中盤で彼の感情をどん底に落とし込み、そこからの回復と練習による技の成長、さらに翌日になっても消えていない記憶で再び盛り返したかにみえた彼の感情は、またしてもバスのシーンにおいてリセットされた。学園祭当日。中盤で観客が疑似体験させられた何も覚えていない朝の恐怖(この辺が「博士〜」だよな)が、今度はバスの中で、さらなる恐怖として直面させられるのだ。記憶障害という設定で観客の感情をジェットコースターの如く二転三転させる脚本と実直な演出は、心地よい感動を観客に与えてくれるだろう。シーラカンスとの戦いで部員達の表情をそれぞれ捉え、彼の日々の鍛錬を彼自身は覚えていないけど、みんなは覚えていることがわかる演出も感動した。「ガチ☆ボーイ」は私の記憶にしっかりと刻まれたぞ。