昔、ひきこもりだった自分へ

昔、ひきこもりだった自分へ
 妻が家を出て一週間が過ぎた。なんだがつまらないドラマのワンシーンをずっと見ているような退屈さと苛々が入り混じっている感覚で仕事も満足に手がつかない。哀しいとか寂しいとか、そういうものよりも何より、今まで過ごした時間がすべて台無しになってしまうのではないかという意味での喪失感が強い。結局私も自分の時間を大事にしている点で妻を思いやる気持ちが欠けていたのだろう。
 一週間前、コミティアの準備をせっせとしなければと帰ってみると、家の中がやけにがらんとしていた。ほとんど物が運び出された室内で、妻が一人で立っていた。外からは随分と明かりが漏れているので、何かあったのかなぁと暢気にドアを開けたらこの始末である。動揺を隠しつつ、ああ、ついにこの日が来てしまったのか、という諦観があったのは、これまでも相手の親を巻き込んで別れる別れないと揉めてきた経緯があるからである。それにしても、普段はおとなしく消極的な妻が、いきなりの別居という選択に、戸惑いがあった。すぐに男の存在を考えた。だが、そうした俄かに胃を刺激する憤りを抑えながら、私は冷静に、出て行くんだ、と言った。妻は少し申し訳なさそうな表情だったが、仕方ないの、これしかないのと甘えた声で私を見詰めてきた。妻は外で夕飯を食べようと申し出る。ラーメンが食べたいらしい。
 私の手は震えていたかもしれない。半ば覚悟していたとはいえ、あまりにも唐突過ぎる展開に、帰宅するやすぐさま出掛ける・気持ちの整理も何もない状態で外出する自分の格好を洗面所でリセットしたかった。車の運転の出来ない私・それも妻の不満の原因だったわけだが、運転席に乗り込んだ妻は、普段ならじっと押し黙って怒っているかのような態度なのに、今日はやけに陽気に振舞っていた。私は時折何故こんなことをしたのかと問い詰めようとしたが、妻は変わらずに前から決まっていたことなのと通し続け、私の質問を制してしまう。助手席の私は少しずつ、妻の身勝手さに、胃の中に溜め込んでいた怒りを皮膚から発散させていった。明らかな苛立ちを私は妻に見せ続けた。
 くるまやラーメンに拘っていたのは考えすぎかもしれないが、妻はそこで食べようと殊更主張した。どこのラーメン屋でもいいじゃんと、最初に見つけたラーメン屋に入ろうと促したが拒まれ、旧国道沿いの目指していた店に滑り込んだ。
 店内は数名の客がいる程度で静かだった。食事は並んでするのが好きだった妻は、そこでも並んで食べようと、たまたまあった丸テーブルに座り、久しぶりだねーと言いながらメニューを広げた。ねぎ味噌チャーシュー。偶然にも二人が頼もうとしたものは一緒だった。妻は笑っていた。解放されて喜んでいるようにも思えてきて、私はほとんど笑わずに仏頂面だった。
 新婚旅行の帰り、長い運転で疲れた妻が休憩しようと立ち寄ったのもくるまやラーメンだった。偶然だろう。けれども、妻は妻なりに私との関係を清算しようとしているのかもしれない。
 ラーメンを食べながら、いくつか聞いてみたが、妻の返答は要領を得なかった。ただ、別居することは以前から決めていた、ということだった。身の回りのゴミを片付け始めていたのを思い出す。ゴミ捨ては世の夫婦よろしく私の役割だったが、分別嫌いな妻が余計に燃える燃えないお構いなしに、雑貨類をゴミ袋に詰め込んでいたのである。あれは少しでも荷物を減らすためだったのか。
 感慨にふけるほどの時間はなかったけれども、沈黙が長かった妻との食事が、奇妙にも気楽に臨めたのは、私も妻との生活に疲れていた証左なのだろう。気遣いなく彼女と食事をするのは本当に久しぶりだった。妻は元々無口な私を物珍しいと思っていたと言う。おしゃべりな男と付き合った過去があるのだろう。それでも私は無口なりに冗談を言ったり、見ているテレビでバカを演じるタレントに突っ込みを入れたりと、らしくない自分を振舞う努力を続けていた。妻だってそんな私の言動にどこか息詰まる思いをしていたかもしれない。今から考えれば、そうした無理が亀裂となって今、決壊してしまったのだ。
 妻はまだ何かを隠している。もともと二人で暮らしてからも隠し事が多かったけれども、今となっては何故どうやって大荷物を運び出せたのか、一人で本当に出来たのかと疑問が尽きない。誰に手伝ってもらったの、と聞いてみると、妻は言い澱んでしまったのである。引越し業者と言えば嘘だとしても納得できる答えのはずなのに、ああ、やっぱり誰か協力した者がいるのか、と残念に思った。彼女の別離の希望を支え実行に努めた、意見を同じくする何者かの存在。性別は問わず、私は、少なくとも最近の彼女については何も知らないわけだ。
 店を出たらすぐ帰路に着いた。妻にとっては運転の出来ない冴えない男をよその家に届ける程度の感覚かもしれない、と既に卑屈になっている自分がいたけれども、それは事実だろう。食後に近くの公園で散歩しようと店に入る前に言われたが、私はそんな気分になれなかった。これからの新生活に期待溢れている妻の明るさが忌々しい。
 15年前の自分は、こんな未来を想像していただろうか? 1995年、世間は騒々しかった。阪神・淡路大震災地下鉄サリン事件オウム事件、村山政権、ドラゴンボール連載終了……当時私はひきこもりだった。家の中でテレビから伝えられるこれらの出来事は、私には無関係のものとして捉えられた。ネットもなかった頃だ、一日中ゲームをしたり、本屋で立ち読みをしたり、図書館に通い詰めて様々な本を読み漁ったり、親からの温もりと冷たさの混じった複雑な視線から避けるようにして日々を虚構の中に積み重ねていった。異性との出会いなんて屋内で過ごす日常に訪れるわけもなく、俺は一生涯独身のまま、仮に働き始めてもうだつの挙がらない退屈な人生になるだろうと踏んでいた。合間に見るテレビドラマはいかにも劇的なものばかりだったけれども、そんなものとは俺は無縁だという確信があった。ひょんなことから、ひきこもりから脱して現実に働きだしても、薄給で、同僚との会話は苦痛で、社内の異性は恐怖の対象でしかない。さわやかに今を楽しんでいるドラマの登場人物たちが繰り広げる恋愛には嫌悪さえ抱いた。いや、それは今でも変わらない感情だろう。現実にこんな劇的なことなんて起こりやしない。現実は、あいつキモい・暗い・無口で終わりだ。働き始めても、私のひきこもり体質は身に沁みて、消えることはなかった。社会の末端と接するようになっても、世間はテレビから流れる虚構となんら変わりはないし、自分とは無関係なのだ。ひきこもり時代に想像したつまらない未来だけは裏切らずに現実のものとなったけれども。
 そんな私が結婚し、すぐに離婚しようとしている。想像しなかった未来だ。世間は相変わらず虚構めいているけれども、ドラマだけの世界だと思っていた劇的な恋愛がわが身に降りかかると、私は、嬉しさの反面、これは何かの罠じゃないかと必ずどこかで考えていた。男が現れてよくも俺の女に手を出したな云々、実は全部嘘だったのバカじゃねーの云々。それは遠からず当たっていた。こういうところだけは、私の想像を裏切らない。
 家の中は真っ暗だった。妻はさよならもそこそこに去って行った。今度こそ、私は独りだけの日々を過ごすことになるだろう。
 その後の数日、コミティアも仕事も上の空で、ついには会社をサボってカラオケに行った。妻との生活で知った楽しみが唯一これだったのである。もう実際にひきこもってしまうわけにはいかない、これが精一杯の反抗だ。一時間ほど、私は歌える限り歌った。「終わらない歌」で、思いっきりキチガイと叫んでやった。