映画「檸檬のころ」感想

映画「檸檬のころ」感想
 校歌……ちゃんと歌ったことってなかったなぁ。
監督・脚本:岩田ユキ  原作:豊島ミホ
プロデューサー:黒谷瑞樹  プロデュース/企画:日下部孝一
撮影:小松原茂  美術:仲前智治  音楽:加羽沢美濃  照明:三善章誉  録音:長島慎介
テーマソング:林直次郎(平川地一丁目)「hikari〜檸檬のころ〜」
配給:ゼアリズエンタープライズ
主演:榮倉奈々 谷村美月柄本佑 林直次郎 石田法嗣浜崎貴司 石井正則 中村麻美 織本順吉 大地康雄

 青春映画である。っていうか、まんま少女漫画の世界である。主演は、今年「僕は妹に恋をする」「渋谷区円山町」に続いて3本目の主演映画となる榮倉奈々と、「カナリア」が今なお印象深い谷村美月(映画が盗まれている、とかの海賊版撲滅CMで暗い涙を流す子、といったほうが通りはいいかな)である。もちろん女子高生役。栃木の田舎を舞台にした、二人の恋模様が切々と描かれる、さわやかな作品である。
 しかしまぁ、まったり出来るいい鑑賞だった。榮倉の清楚な表情といい、谷村の明るい表情といい、主演の言動を眺めているだけでも微笑ましいけれども、話がきっちりとまとまっているってのも何気にいい。冒頭の二人の校歌についての会話、これが利いてるね。「うちの学校の校歌って軍歌っぽくね?」「ザッて感じ」「ザッて感じ(笑)」……ここからタイトル来て本編が始まるんだが、この音声のみの会話が、卒業前の二人の会話であることが映像で終盤に映される、なんかこう、待ってました! ていう期待に応えるシーンがたくさんあるんだけど、これもその一つだったんで、「ザッて感じ」で最敬礼する二人の姿、とても成長した後の姿だったんだなってわかる。これを冒頭に声だけ持ってくることで、声だけではわからない・つまり表に出てくる言葉だけではわからない姿に映像の力ってもんを感じた瞬間でもある。
 簡単なあらすじをとりあえず書いとこう。高校三年の秋本(榮倉)と白田(谷村)、同級生だけど特に交友があるわけではなく、二人の話が同時進行していく感じである。冒頭でちょっと二人を接触させた後、二人が絡むシーンは終盤に至るまで一度もない。この辺、人気者の秋本といつも一人の白田という対比があって、二つの話を一つにしているんだろうけど、全く無理がない。進路相談で東京の大学を目指している二人だが、秋本は野球部のエース佐々木(柄本祐)に気があり、白田は音楽ライターを目指して日々音楽を聴きまくり音楽雑誌を読みまくる。どちらかというと、恋愛描写を秋本・目標に向かう若者の溌剌さを白田が負っている。だが、秋本には中学時代に付き合っていたらしい同じ野球部の西(石田法嗣。「カナリア」コンビの再共演と思ったが、西と白田が並ぶシーンはなかったと思う)も何かと気になり、白田は校舎の屋上(青春映画といえば屋上だよな!)で音楽聴きながら大の字で寝ているところを同級の辻本(林直次郎)に見られて、彼が気になり始める(辻本も音楽好きでいつも何かを聴いていた)。というわけで、白田も辻本との関係が進展していく事に嬉々とし、全体的に恋愛模様が濃くなっていく……
 さて、秋本と白田の話が交互に描かれていく中で、両者共に佐々木との仲・辻本との仲が親密になっていく。この盛り上がりも、しかし実に静かな雰囲気の中で描かれている。田舎が舞台とはいえ、安易にそれらの風景描写に頼らず、人間関係の中で積み重ねられていく。たとえば秋本が西との微妙な中に悩む中、電車通学で偶然顔を合わせたとき、この二人の過去が映される。些細な描写であるが、タイトルを想起させるレモンの香りのリップクリームに関わるエピソードが慎ましやかに描かれるのだ。楽器の演奏で唇がよく乾くという彼女(高校でも吹奏楽部の部長らしい、指揮してるし、野球部の応援の演奏も行っている関係で野球部員とも交流がある)が、「(西も)使ってみる?」とそれを西の口辺に押し付ける。この回想シーンが、電車内でぽつぽつと語り合う二人の思惑に鑑賞者はさまざまな思い込みを働かせる。佐々木くんが好きと少しよどみながらも断言する秋本、今も秋本が好きだと語る西、この二セリフだけで、二人がどのようにして別れるの至ったのかが想像できよう。そして車内にリップクリームを忘れてしまう秋本……あー、こりゃ絶対に西との絡みがまたあるな、という期待と予感が入り混じったままに、秋本は佐々木との交際を始める。また、たとえば白田にしても、同じ音楽友達の子(名前は、しまちゃんだっけ?。辻本を「辻本先輩」と呼んでるから、後輩なのかな?)と花火しながらはしゃぐ場面で聞いているラジオから自分がリクエストした曲が流れてきて、あー、これはきっと辻本も聞いているに違いないという期待があり、その後辻本と掃除をする場面で、リクエストした葉書の文面を読み上げられてお約束展開来たっていう嬉しさと辻本と関係を密にしていく過程の自然さ・掃除の時間中だけの二人の世界とそれに狂喜乱舞する白田が実にかわいい。こんな谷村の笑顔は初めて見たような気がする。「カナリア」は割りと暗めの映画だし、「東京ゾンビ」「笑う大天使」どっちもちょい役で印象薄いし、「酒井家のしあわせ」は観てないし。「時かけ」は声だけだし。
 と、ちょっとした期待を積み上げていって、後半に少しずつ解き明かしていく、これがほんとに少しずつだから、ほんとにまったりしてしまうんだけど、それだけにちょっとした関係の行き違いが、ものすごい分厚い壁と化してしまう。大人になって、なんであんなことで悩んだり苦しんでいたりしたんだろうと、きっと思うに違いない・傍から見れば大人に成長するための通過儀礼みたいなもんだろう、と冷めてみることも出来るけど、特に白田が辻本と少しずつ仲良くなっていくシーンでいちいち彼女が喜ぶところが象徴しているんだけど、この映画は少しのすれ違い・少しの傲慢が、大事な友人関係・恋人関係を壊してしまう脆さを描いていて、それを克服することで成長する姿が、笑顔や涙とかで映される・この映画ではそれが「ありがとう!」という言葉に集約されている。この時の彼女たちの笑顔は絶品である。
 私が心引き寄せられたのは、やっぱり白田だったりする。音楽ライターを目指す彼女だったが、音楽友達の文章が音楽雑誌に載る・いわば先を越されたという感覚は、盛んに音楽について語りながら、自分は何もわかっていない、大人しい友達のほうが余程音楽を知っている。雑誌に載った友達の文章と、自分が書き綴っていた音楽ノートを読み比べ、ノートを川に破り捨てるシーン。そして、山の中から景色を臨むシーンでは、多分その川も映されつつ(夕焼けさす美しい風景である、告白にはもってこいと思いきや)、白田と辻本が二人居並ぶシーンの辻本の「俺たち友達だよな」発言は見ているほうも衝撃的で、音楽友達にも辻本にも、まさに裏切られたっていう思いは、彼女のわがままでしかないし、それは彼女もよくわかっている。でも、ちゃんとカタルシスが用意されているのが、この映画の最大の魅力である。
 軽音部の辻本は、文化祭のライブで自作の曲を披露するつもりだが、作詞を任せたボーカルの詩がくだらない。そこで白田に作詞を依頼する。辻本との関係が友達でしかなく、音楽友達とも顔をあわせられず、どん底にある彼女だったが、辻本が自分の気持ちを知ってもなお作詞を頼んでくれたこと・音楽友達と話して和解できたことが、彼女に詩を作る勇気を与える。そうして出来上がった詩は、映画の主題歌ともなっている歌なんだけど、これが文化祭で歌われ、大いに盛り上がる。自分の詞がこんなに多くの人を熱狂させたのだろうか? そこまでの自信はない、けど、ここで佐々木との関係に悩んでいた秋本が登場するのである。白田が作詞した内容・その言葉に、秋本は佐々木との関係の答えを見出すのだ、「ありがとう」という秋本。歌ったくれた辻本に「ありがとう」という白田。
 物語はその後も少しだけ続く。以降は秋本と佐々木の関係が静かに描かれる。西が「忘れ物」と言って渡すリップクリーム、地元に残る佐々木と東京の大学に進学する秋本の別れ……白田の思いはラストの「ありがとう」で終わっていたのか、と思っていたところのエンドクレジットで、白田が作詞し辻本が歌う歌が再び流されたのだ。歌に感動するって、こういうことを言うんだな……岩田監督、ありがとう!