最近、こんな記事を読んだ<マンガサイト・ブログに希望すること>

 コミケに向けた長文感想のためにせっせと文字を打ち込んではマンガを見ることを繰り返している最近、こんな記事を読んだ<マンガサイト・ブログに希望すること> http://enixcomic.fan-site.net/enix8/mangasite.html
 若いなー。私もサイトを立ち上げた当初は、長文の考察や感想を中心にしたのマンガ系サイトが少なかったので、こういう身勝手な嘆きはよく一人で勝手にしたもんであるが、今はもうブログも含めてそういうのが増えているので、みんな凄いなーと敬服しながらマンガ系の記事を読んでいる。だから、改めて今のネット上のマンガ系の記事の充実ぶりにはとても満足しているのだけれども、たかひろ氏にとってはまだまだ不満があるのか。ふむふむ、私も初心を思い出しながら、この記事を読んでみよう。

「そこまで個人サイトに広まったブログなのですが、どこもあまり芳しい成果は挙げていないようにも見受けられます。」
「このマンガがすごい」のような年間ランキングの選者にネットからの人が増えているのを見れば、十分に結果を出していると思うんだが。これこそムーブメントじゃないの。毎年ランキング見て、それを参考にマンガを買う身としては、ありがたい存在。下手にタレントや著名人に頼ったランキングより、よほど真面目な気がする。ブログのおかげだよ。ていうか、成果ってなんだろう、レベルって何? 私が想像するレベルで話をすれば、レベルは個人サイト時代より確実に上がっているよ。これは間違いない。レベルの低下ってどんだけつまんないブログばかりを選んでみているんだろう。
 体系を持たないってのは確かに少し感じるところではあるけれども、普通に検索してるからな……面白いマンガ系の記事を見っけたら、過去の記事を自分の好きな漫画家なんかで検索して自分と違う意見と出会う。これってすげー楽しいんだけど。

「・何らかのニュースを引用して適当なコメントをつけただけの記事。 」
 私はあまり見ないなー。そういうところばかり見てるせいじゃないの? 探せばいいのに。
 ニュースサイトは重宝してるんで、コメントはあまり気にしないしコメントの内容でリンク先の記事の読む読まないを決めちゃいないよ。みんなそうでしょ。

「・本やDVD、マンガやゲームなどの私的な購入記録、購入予定記録。 」
 ごめん、私はすげー役に立ってるは、これ。知らないタイトルが気になるのがあればとりあえず検索してどんな内容か調べるし。ジャケ買いならぬタイトル買いなんてたまにやってしまうよ、私は。単行本派にとってはなくてはならない記事だ。

「・閲覧者に意味ある情報を与えない、ごく短い単なるつぶやき。 」
 意味があるかどうかは閲覧者は決めることだからな。書いた本人が意味ないと思っててもね。

 衝動って記事書くときに大事だよね。モチベーションか。これがないと長文は書けない。一つの作品について一万字二万字以上費やした記事を書くには、相応の時間に渡って気持ちを高ぶり続けなきゃならない。いちいち見識の向上やらなにやらもっともらしい読者のための真摯さなんて消し飛んでいく。ていうか、今私がそういう状態、コミケ……間に合わせなきゃ……
 ただまあ文責は意識しなきゃだめだよね。これは単なる感想です、と言って最初から予防線はってるとかってそれは私じゃんか。中身の充実と言われても、こちとら一人でやってるわけで、編集の眼を通したそれなりのものじゃないからね。書きっ放しの生意気な意見・感想ばっかり。質なんて高いのか低いのかもわからないから、アクセス数や、今ならはてブ数とか、そういう何か頼れるものがどうしても必要。でないと、モチベーションそのものが低下していく。最初は単なる暇つぶしや備忘録みたいなものであったとしても、閲覧者からのリアクションがひとつでもあると、それが次の記事への糧になっていく。誰もが経験しているはずのサイト・ブログ立ち上げ当初のあの感覚は失いたくない。

「マンガ好きな閲覧者に対して、体系立てた意味ある知識を与えようとするサイトが存在しない。これはブログもそうですが、そのためにここからなんらかのムーブメントが興りようがないのです。真に面白いマンガを発掘したり、新しいマンガの読み方、思想が出てくるようなことがまったくない。」
 必要ない。自分で探すんだよ。体系立てるのは閲覧者本人。自分で検索して集めた記事を自分で再構成して他人の意見によって作品論を組み立てていく。それに対して自分はどう考えるのかを突き詰めていけばいい。検索が面倒なら2chでもいいよ。雑多な意見を自分にとって意味ある情報にするかどうかは閲覧者次第。

「マンガについて何も知らない初心者に対しても、それを分かりやすく伝えるサイトがもっと多く存在すべきだと思います。」
 全く必要ない。ネット上でインターネットの繋ぎ方をくどくどと説明する行為に等しい。
 そもそもね、「何も知らない」というのがどういう状態なのか。これからたくさんの面白いマンガを読もうとする人だとしたら、ランキング本を買って読めば足りるし、この時期ならそろそろ個人的年間ベスト作品をやってくれるだろうから、マンガ系サイト・ブログを片っ端から検索して読んでいけばいい。
 それに、マンガを読むのに知ってるも知らないもない。批評なり評論なりで新しい読み方や解釈の提示というものがあるとしても、そんなものは普段読む上で気にすることはない。昔の自分はもう少しボリュームのある記事が読みたいなーと思っていたけど、今は読んで面白かった、次は? この欲望で十分だと思っている。たとえ浅い読み方(読み方に浅いも深いもないと思っているけれども)と非難されるようなことがあっても、面白い・つまらないという言葉しか出てこなかったらそれでいいよ。無理するこたぁない。

「なんらかの情報を親切丁寧に優しく伝えようとする機運があまり見られません。つまり、「ネットでいい情報を見つけられないのはそいつが悪い」「ネットは自分で情報を見極める人間でないと生き残れない」などと考えている人が少なからずいるのではないかと思えるのです。マンガやアニメのような、コアユーザーが多く集まる場所だと特にそうで、マニアックで排他的というか、「分からないなら分からないでいい」というような傾向が感じられます。」
 分からないなら分からないでいいんだよ、いやホントに。知りたい人は調べるし、その気のない人は他に行く。困ったら質問すればいい、ブログやコメントで書けばいいじゃん、これがわかりません、このマンガの意味がよく分かりませんって。そういうアクションを受けたときにはじめて、こちらが対応すればいい、自分で考えようね、と。ではなくて、こういう本があるよ、こういうブログを読むともっとよく分かるよと。実際にそういうブログはすでにあるし。日記形式のいいところだ。「最近こんなマンガを読んだ、素直に面白かった、詳しいレビューはこっちのサイトを参考にしてね。」これはつまり、知りたい人が検索して得た情報なわけだ。今のままでも十分にマンガ系サイト・ブログはポータルサイト的に機能している。グーグルさまさまだね。個人的にポータルサイトというよりも、ハブサイトとしたいね。入り口ではなくて繋ぐ存在。こっちのほうが欲しい。

「そしてもうひとつ、今のマンガサイト・ブログに望むべきは、徹底してじっくりと描かれた、真に内容のある記事だと思うのです。単に更新の量が多ければいいというものではなく、書きたいものを書くという衝動のみに突き動かされた、雑多で卑俗な記事ばかりが存在するのは、決して好ましいことではないでしょう。」
 あれか、私の「げんしけん」とか「フラワー・オブ・ライフ」とかの雑多で卑俗な長文感想でもまだ足りないのか。「おお振り」の試合分析でもまだまだ足りないのか。

「ネットではアクセス数ばかりがまず第一に評価される。」
 じゃあコメントくれよ、感想メールくれよ。アクセスなくてもそれがあれば生きていける。自分の記事がどれほどの価値があるのかなんて全くわからないからね。自分が決めることじゃないし。

「求められるのは、マンガに対する深い見識によって書かれた深く内容を捉える記事。そして、そんな記事を書ける知識と教養と理想と矜持と想像力を持った人間が、ネットの先頭に立ってマンガ文化の向上に努めなければならない。少なからずそう思うのです。」
 そういうのはイズミノさんがやってくれるから、心配しなさんな。

 さて、コミケの新刊がんばります。