小山昌宏「戦後「日本マンガ」論争史」を読んでマンガ系サイトを思ふ

 小山昌宏「戦後「日本マンガ」論争史」を読んで再びマンガ系サイトを思ふ
 この本は、大衆文化論やマンガ表現論を専門とする小山昌宏氏が、タイトルどおり戦後交わされたいくつもの論争の中から8つを選び、両者の対立を両論併記することで比較検討し、そこから何が考えられるかということを真剣に書き綴っている。それこそマンガ俗悪論から最近の論争(と著者が位置づけた対立も含む)までを網羅した、戦後、マンガがどのように語られ、どう受容されていたのかを考える上ではもちろん、今現在・未来のマンガの語り方についても考えされられただけに、非常に興味深く読むことが出来た。論争でどちらが勝ったのかという興味本位を排し、何が生まれ私達はそこから何を学ぶべきかという建設的な記述を多く見ることが出来る。
 それぞれの論争を以下に列挙しよう。
 1 石子順造×石子順
 2 手塚治虫×水木しげる
 3 松沢光雄×斎藤正治
 4 稲葉三千男×津村喬
 5 水野良太郎×片寄みつぐ
 6 権藤晋×夏目房之介
 7 竹内オサム×伊藤剛
 8 「テヅカ・イズ・デッド」と「「ジャパニメーションはなぜ敗れるか」を読む
 1章では、名前の良く似た二人ということで混同されることもある両者の手塚マンガ論を足がかりしてマンガの捉え方を鮮明にする。やっぱり互いに意識した二人の違いが明らかになると、そこからマンガ家の戦争責任問題に焦点が絞られる。手塚にほれ込んだ石子順が、手塚漫画の中で展開された思想性にばかり囚われ、マンガとしての評価をほとんど無視した姿勢が、そのままマンガ家の戦争責任に対する甘さに繋がっていると指摘する。私も詳しく知らないけど、マンガ家も戦争時中は戦意高揚のマンガを描いたり従軍レポをマンガの記事にしたりと、戦争に協力した背景がある。誤解を恐れず大雑把に言えば、戦後のマンガ界に長らく君臨していた近藤日出造が積極的に戦争に協力したマンガを描き、戦後、多くの人からいろいろ言われる、で、近藤を擁護するマンガ関係者がいる一方で、石子順造は徹底的に近藤を叩く。手塚と戦争責任についての関連は記述されていないが、近藤が初代理事長を務めた日本漫画家協会に手塚が入会しているってのも気に喰わないのかもしれないし、そもそも近藤は手塚の主戦場とする子どもまんがを糾弾する側であり、そういうのも石子順造の苛立ちを煽ったのかもしれないっていうのをどっかで読んだような気がする(詳しい人の解説を希望)。
 石子順は前述のとおり表現よりも思想について論述する傾向が強く、手塚を詩人とまで位置づけもする。戦争責任についても、当時の状況ではやむをえない、という態度である。手塚論と戦争責任の考え方から、石子順造はマンガから導かれた思想をさらに掘り進んでいく・結果的にマンガ家が描いた思想・個人への分析に向かう(よってその思想性の軟弱さから手塚をあまり評価しない)、石子順はマンガの思想性を社会や時代性に還元してマンガを読まない人々にマンガで何が描かれているかを指し示した(手塚マンガが広く人々に読まれたという事実から手塚を評価する)、と乱暴に私は思った。だが、1の文章は、それでも戦争に協力せず治安維持法で逮捕・拷問された柳瀬正夢というマンガ家の名を挙げ、彼はマンガ家の戦争責任をどう思ったか? と締めくくられるあたり、著者が石子順造の立場に近いことがうかがわれる。
 2章で費やされるのが水木しげるのマンガ論である。1960年代、彼は「ガロ」で手塚マンガを稚拙という意味を込めて「おやつマンガ(おもちゃマンガ)」と評し、自分が属する劇画を「見る小説」として、マンガとは別に発展するという持論を展開する。けれども、この章ははじめから著者の論調が水木の持論に否定的だ。著者は水木の論を紹介した後で、手塚ではなく辰巳ヨシヒロの劇画論(劇画はマンガの中にこそあり、別々ではない)を紹介することで、何故水木がこのような論を持つに至ったのか、その背景を考察していく。
 結論から言うと、マンガ有害論に行き着く。つまり、自分が描く劇画が、手塚ら流行作家が描くマンガとは別のもであるという水木の思想を炙り出すのである。マンガ有害論がしばしば教育上好ましいか否かという教育論に摩り替えられる当時(今も変わらないけど)の状況に、水木本人のマンガ観が影響されていたということか。マンガが劇画的表現を取り込んで表現力をつけていていった過程を知ることが出来る今から振り返れば、水木御大の主張は的外れということになるが。
 で、この章で面白いのが水木が提唱した「見る小説」としてのマンガ論である。「読む」ことよりも先立つ「見る」という運動が、マンガを読む上でどういう力学として作用しているのか、著者の持論が展開されている。
 3章と4章は2章を受け継ぎ、マンガ有害論争とマンガ低俗文化論争が解説される。簡単に言えば、やっぱり教育論に向かってしまう論争の紹介に私は苛立ってしまったが、それでもマンガ俗悪派の指摘が、皮肉にもマンガというメディアの影響力の強さを証明してしまった、という著者の記述に納得するところがないわけでもない。左翼という言葉が目立つようになるので、その方の解説を切望する(だって本の中には自民党の文教政策批判とかなんか政治的な話も多いんだよ)。子どもを無視して行われるマンガ俗悪論こそ、子どもの権利条約に批准している日本という立場を考えない勝手な論理だ、ということなのかな。
 5章で焦点となるのがひとコマ漫画である。日本漫画家協会の理事を務めたこともある水野良太郎が1991年に著した「漫画文化の内幕」という本で現在のマンガ家、評論家・批評家は、そもそも漫画とは何かということさえ理解していない無教養と下す。そして水野が語る定義紹介した上で、彼が何故評論家たちだけでなくマンガ家までも非難したのかという論点としてひとコマ漫画の衰退を挙げる。
 新聞等の風刺漫画などを思い浮かべる人もいるだろう、ひとコマ漫画は、確かに今現在ほとんど見ることはない。欧米のメディアではいまも健在(ほんとに今も多いの?)だが、それが日本でのみ衰えていったのは、風刺精神を理解出来ない彼等が、ストーリー(表現)にばかり着目し、漫画の形式を軽んじた結果である、ということらしいが、ここでも、前章まで語られたマンガ低俗論が尾を引いている。つまり、大人マンガとしてのひとコマ漫画と、子ども漫画としてのストーリーマンガという構図である。もちろん、後者の方が劣っているという見方である(なお、本の中では少し触れられているけど、近藤日出造もひとコマ漫画家であり、前述した子どもマンガを俗悪だという持論を展開している。水木しげるのマンガと劇画の区別も含めて、同じマンガというメディア内でマンガ関係者同士が繰り広げる論戦は、なんだか暗澹たる気持ちにさせられる。本書は、そうした泥沼の中から、将来に繋がる何かを探ろうと必死に言葉を連ねている)。
 6章と7章については、一部がネット上で行われただけにご存知の方もいるだろう。
 6章は、夏目房之介貸本マンガ史研究会「貸本マンガRETURNS」で権藤晋の記述に関する違和感を自身のブログで表明したことからはじまる。権藤はそれに対する反論を、これまた自身のブログで公表し、お互い歩み寄らないままに論争は終息してしまう。著者は、夏目の論調から左翼の反映論への嫌悪を読み取り、権藤からは夏目のような著名な評論家への嫉妬心を読み取る(語弊がありそうだけど、私はそう思った。具体的には夏目のような中産階級への嫌悪)。結論の感想としては、両者とも左翼は嫌いという共通項を見出しながらも、石子順造(と左翼のマンガ論)への反論(権藤晋石子順造との共著があり、思想的にも近い立場だったらしい)を権藤に被せる夏目と、進歩派知識人としての文化人への批判を夏目に被せる権藤、両者ともにマンガの見方にもいろいろあるんだなということがわかった。両者の「水木しげる論」を併記することで浮かび上がる相違点と共通点に、マンガを論じることの難しさも痛感した。……そもそもこの章は左翼とかレーニンとかマルクス主義だとかの言葉がたくさん出て来て、背景がよくわからん、紙屋さん、出番ですよ!
 7章に至ると、6章を引き継いで、批評と研究の違いから生まれるマンガ論のすれ違いがより注目されることになる。伊藤剛が自身のブログで竹内オサム「マンガ表現学入門」を批判したのをきっかけとし(そういえば私も批判してるし……)、更にその後の著書「テヅカ・イズ・デッド」で、村上知彦の「マンガはつまらなくなった論」と竹内の同一化技法を再批判、これに宮本大人・夏目が伊藤側に加勢する(形となる)。一方、竹内・村上、また米沢嘉博も語った「マンガはつまらなくなった論」をまとめて最近のマンガの読みにくさ・わかりにくさを挙げることで、これをマンガの進化と捉えるか・退化と捉えるかという解釈の差ではないかという提起から、著者はこれを表現の「深化」と捉えなおし、何故このような差が生まれたのかを考察する。
 さて、8章については読んで確認していただくとして(個人的には8章が一番面白かった)、ネット上のマンガ言説(みたいなもん)に妄想を馳せてみたい。
 ネット上のマンガ語りが、ほとんど過去のこれらの論争を踏まえていないことは明白である、ていうか、私はほとんど知らなかった。きっと水野良太郎氏が見れば、マンガ系サイトなんぞクズも同然だろう。まあそれはともかく、私は著書に、著名な評論家によりマンガ語りと、大学等でマンガを研究する人々のマンガ語りの認知度の差を嘆いているような気持ちを垣間見たんだけど、あーなんかわかるなーと一人合点してしまった。大手のマンガ系サイトの一言が、どれほど大きな影響力を持っているか。小手サイトがさんざん面白いと訴えたところで、大手の人が面白いと採り上げたほうに声が集まるわけで、もちろん僻みにしか過ぎないんだけどね。最近、講談社社員が大学生と騙ってマンガ系サイトにアンケートをばらまいたって件があったけど、私のとこにそんなメール来るわけないじゃん!
 でもね、同じこと書いても反響に差があるというか、ベルとイライシャ・グレイの関係というか、それが大手と小手の差なんだし、大手も最初は小手だったわけだし、ルサンチマンみたいだし、わかってはいるんだが。なんか、感想に優劣は基本的にないんだけど、ただその感想が好みかそうでないかってくらいで、そりゃ中傷に満ちた感想は、感想でなくただの中傷だろうとは思う。けど、マンガはメジャーからマイナーまでと言いつつ、チェックするサイトは結局大手の感想サイトだけってところや、大量にはてブがついたとこに今更賛辞を送ったり、それにのっかって反論を数で圧倒したり(もちろん中の人にその意志はないんだが、結果的にそれにくっ付いてくる人たちがいるんだよな)。6章の論争を知ったのは夏目氏のブログと2chマンガ夜話スレだったけど、マンガ関係者は静観してたものの、それ以外の2chなんかは権藤氏に対して手厳しかったのを思い出す。小山氏の著書では両論を併記することでどっちもどっち、という感じではあるけど、じゃあ権藤氏のブログやそことつながりのあるBBSでは苛烈な夏目批判があったけど、それを読んだ人がどのくらいいたか。そいうい私も読んでない。今回本を読んで、その論争の概観を知った程度の浅はかさであるんだが。
 話が錯綜してるので、はっきり言えば、「ケータイ小説を笑うまえに」http://d.hatena.ne.jp/kaien/20071128/p1ここなんだよね。kaien氏のブログにはよく通っているんだけど、それだけに、あなたがこれを書くわけ?というのもあった。まあ反論意見へのレスを見ると自覚はしてるみたいで、その辺は上手く予防線を張ってたなって思うけど、つまり「れ」という詩の解釈をそこにカンガルーの姿を見た子ども、と断じることの危うさだよ。もっともそれが正解なんだけど、だからと言って他の解釈を斥けてもいいのかなって思う。それこそ立場の違いによる解釈の差であるし、解釈は作者の思いを汲み取ることではない。最近茂木健一郎氏がhttp://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2007/11/post_b806.htmlで述べたように、誤読も覚悟しなきゃならない。これは結局「ケータイ小説を馬鹿にするエリート意識を持った頭の固いオタクを見下して、自分はそういったものに流されないというスノビズムを持っている筆者を見下して、自分はそういったものに流されないというスノビズムを持っているのが透けて見え(以下略)」という堂々巡りになってしまって不毛かもしれないが。
 「ケータイ小説を笑うまえに」ってタイトルを見たとき、私はすぐに「日本映画を笑うまえに」ってパロディを想起してしまった。kaien氏の文章には、最近の日本映画への侮蔑がほの見えるからである。でも、私は映画には無知だし、そういう一席をぶちまけられるほど映画の教養もないし、結局思っただけで形には出来なかったんだけど、それでもマンガや小説やラノベに対する「れ」の姿勢を映画にも見せて欲しいなと、老婆心ながら思う。自戒を込めて(←予防線)。
 なんだかいろんな地雷を踏んでしまったような気がしないでもないけど、小山昌宏「戦後「日本マンガ」論争史」、興味があればどうぞ。